ひろしせんせーのひとりごと。

44歳の脱サラ保育士ひろしせんせーが書いています。

長男、不登校になる⑥~不登校から半年、長男の葛藤

入学から2か月間を不登校で過ごしたころ、学校から三者面談の話がありました。しかし、それはあくまで定例的なものでした。学校が何とかしてくれると信じていた私には何とも呑気な申し出だと思ったのですが、我が家の状況を認識してもらうには良い機会でした。

前日まで三者面談があるとはなしていたのですが、長男はやはり一緒に行ってはくれませんでした。ただそれは逆に好都合でした。二者面談になってしまった面談で、私は先生に現状を訴えました。当時はコロナのためマスクをして表情は読み取りづらかったと思いますが、私は必要以上に悲壮な表情を作ったつもりです。幸いにも若い担任の先生は私の必死さを汲み取ってくれ、より上位の学年主任の先生に取り次いでくれました。そして学年主任の先生との話の中で、私自身が甘かったことを思い知ったのでした。

 

学年主任の先生の話としては以下のとおりでした。

学校としては長男のためにやれることはする。必要があれば家庭訪問もする。しかし家庭訪問は最後の手段。今は親が声掛けをして学校に足を向けるようにする時期。長男はもう充分に休息を取ったので、学校に行かないのは親への甘え。きちんと向き合って、そろそろ厳しめに話をするべきとのことでした。

先生はきつい言い方はしませんでしたが、私は芯を突かれたと感じたのと同時に、長男に向き合わなければならない現実を突きつけられ、暗い心持ちで家路につきました。不登校の長男と向き合って話すのには、強い気持ちが必要です。長男が怒ったりパニックになったりしないか、不安や怖れの気持ちを心から排除して向き合わなければなりません。

 

そしてその日の夜、さっそく長男と向き合って話しました。

まず、学校が始まっているが、なぜ登校せず、課題も出さないのかと問いました。転校をした際には高校くらいは卒業したいと言っていたはずなのに、課題も出さないのでは卒業はできません。どうするつもりなのかと問いました。

長男の答えは「知らない」とだけでした。

続いて卒業後の話もしました。もしこのままだったら卒業はできない。それだけでなく、学校にも行けないのなら仕事やアルバイトだってできるはずがない。そうしたら生きていくことが出来ない。私たち親が亡くなった後、どうやって生きていくというのか。

長男はその質問にも答えることが出来ませんでした。何も答えることができない長男に、理由がないのなら明日学校に行くように伝えました。もちろん長男はまだ17歳で、なろうと思えば何物にもなれる。しかし何も目指すべきものがないのなら、今は学校に行くほかにないのだから。

長男は明日は無理と応えたため、ならば明後日行きなさいと伝えました。そこに有無は言わせませんでした。これまでどうするか尋ねるやり取りをしていましたが、この日は一方的に「行きなさい」と強めに言い切りました。

 

長男にとっては聞きたくない話したくない都合の悪い話題だったようです。ケータイをいじりながら話を聞いていたのですが、苦しそうに身もだえるように、イライラしながら話を聞いていました。そんな長男の応えは翌日顕れました。

 

翌日は私たち夫婦ともに帰りが遅く、いつもはどちらかが18時頃に帰宅して夕飯の支度をするのですが、19時半ごろに帰宅しました。私がリビングに入ると、小学生の次男が一人で泣いていました。次男は怖がりで、トイレにも一人で行くことが出来ない子ですから、すぐに異常事態だと感じました。訳を聞くと、次男がいつも使っているゲーム機(nintendoスウィッチ)を長男がお風呂に沈めて壊し、長男はその後どこか外へ行ってしまったとのことでした。スウィッチはリビングにタオルに巻かれた状態で置いてありました。次男がお風呂から拾い上げて拭いたけど電源はもう着かなかったようです。

次男が長男を怒らせるようなことをしたのかと尋ねると、何もしていない、長男は笑いながら次男からスウィッチを取り上げて地面に投げつけ、なかなか壊れないからと最期はお風呂に沈めたのだそうでした。こうして文字で書くと狂気の沙汰ですね。しかし長男はそれほどやり場のない気持ちを抱えていたのでしょう。とりあえず私は次男を慰めました。長男が次男に暴力を振るうようなことはないと踏んでいましたが、このような暴挙に出るとは思っていませんでした。自分の見通しの甘さを悔いながら次男を慰めるとともに、長男が帰ってきたらどう声をかけようか考えていました。

 

長男が帰ってきたのは21時過ぎでした。長男によると、その日は雨だったにもかかわらず、傘もささずに近所の公園で時間を潰していたそうです。

長男にはどんなにイライラしたり怒ったりしても次男を傷つけるようなことだけはしないでほしいということは伝えないといけませんでした。でも𠮟りつけるような言い方は逆効果です。長男にだって理由があるし、わかってもらいたい気持ちがあるはずだから。そこでまずは「共感」を示しました。ただ、長男は幼児ではなく、思春期真っ盛りの子どもです。隣に座ってお話を聞くスタイルではウザがられるだけ。なので別のことをするフリをしながら長男に話しかけることにしました。「随分とイライラしていたんだね。こんなことをするなんて、よっぽどイライラしていたんだね。」この言葉がけの仕方が正しかったかどうかはわかりませんが、なるべく自然に話しかけるように心掛けたつもりです。叱られるのではないかと身構えていた長男にとって意外だと感じてもらえれば成功だったはずです。長男は特段変わった反応を見せなかったので、間違いではなかったのではないかと思っています。そんな声掛けをして十分に長男との間合いを詰めた後で、ソファに腰かけていた長男の横に座り、顔を見て「長女や次男を傷つけるようなことはしないでほしい」と約束をしました。さらにイライラして何かに八つ当たりをしたとしても、長男の状況は何一つとして変わらないことも伝えました。問題を起こすことで私の親としての気持ちが揺らぐことはないとのメッセージを明確にしたかったのです。長男はまたもイライラした様子で、夕食も食べずにリビングを離れ、2階に上がってしまいました。

その日は平日だったので、長男のことは取り敢えず置いておいて、小学生の次男と風呂に入れて寝かせることにしました。寝る支度のため2階に上がると、居るはずの長男の姿がありませんでした。トイレでも行ったかと思いましたが、何となく寝室の窓が開いているのが気になりました。6月なので窓が開いていてもおかしくはないのですが、勘が働いたとしか言いようがありません。何となく網戸を開けて外に顔を出すと、長男が1階の屋根の上、窓から見た死角の位置に隠れて立っていました。

「何してんの?」

本当にそれしか言葉が見つかりませんでした。何故隠れるのかが、とっさには理解できなかったのです。取り敢えず中に入れると、長男も恥ずかしかったのか、そのまま家を出て行ってしまいました。時刻はすでに23時を過ぎていました。前にも書きましたが、長男は都合が悪くなると家を出て行く癖があります。でも、先ほどのように数時間もすれば必ず帰ってきます。風呂上りでもあった私は放っておこうと思ったのですが、母親はそうは考えられませんでした。心配で仕方なく、長男の後を追いました。結果的に、私はこれが良かったのではないかと思います。妻によると、長男は家のすぐ外で物陰に隠れていたそうです。(長男にとって夜道を独りで歩くというのは怖いことだったのかもしれません。)母親に見つかった長男は、逃げるようにあてもなく歩き始めたそうですが、妻は自転車に乗って追いかけました。時々妻が話しかけても、長男は無視をするか、ウザいと言って蹴ってきたそうです。そんなやり取りをしながら、長男は色々と思考していたのでしょう。母親にぞんざいな態度を取りながらも、心配をかけている、一人じゃないという気持ちも伝わっていたのではないかと思います。

小一時間が経った頃、二人は帰ってきました。時刻は24時近かったと思います。私は次男と一緒に寝ているフリをして、敢えて長男とは顔を合わせませんでした。

 

その翌日、長男は新しい学校に初登校しました。