ひろしせんせーのひとりごと。

44歳の脱サラ保育士ひろしせんせーが書いています。

40歳おじさん保育士になる①

ひろしせんせー初投稿は、私がなぜ公務員をやめて「ひろしせんせー」になったか、です。

 

私はもともと某県の市役所に勤務していました。東京都心からほど近いその市は、若い世代が多く、子育てにも比較的力を入れていました。その市役所で18年間、うち12年間を子育て支援に関する部署で過ごしました。子育て支援の部署に配属されたのは、今から15年も前ですから、ようやく児童虐待問題が顕在化し、子育て支援の重要性が認識され、政策化されはじめた時代でした。

 

そんな時期に子育て支援の仕事を就いた私は、児童虐待子育て支援拠点、発達障害児の支援、子ども子育て支援新制度に関わり、さらに児童虐待予防のための新たな仕組みづくりに携わりました。この新たな仕組みづくりは、当時の上司の発案によるものでしたが、行政の縦割りを打破し、官民共同で個々の子育て家庭を具体的に支援していく、画期的なものでした。しかし、一定の成果が上がり始めたころ、当時の上司とさらにその上席との確執から、この仕組みに綻びが見え始めました。

 

私なりにこの仕組みを維持するために努力をしたつもりですが、行政の縦割り構造は一度タガが外れると戻ろうとする力が強く、後退する流れに抗うことはできませんでした。やがて、一人むなしく流れに逆らっていることに気づき、この組織を自分の居場所とすることに嫌気がさしました。

 

つい長くなりましたが、そんなわけで私は公務員という安定を捨てることにしました。幸い私には妻がいて共働きでしたので、ある程度稼げれば大丈夫だろうと考えていました。

 

②へつづく