ひろしせんせーのひとりごと。

44歳の脱サラ保育士ひろしせんせーが書いています。

長男、不登校になる⑰~進路

高校生生活も残り10日余りとなった頃、長男と私と学校の先生で最期の3者面談をしました。事前に私は電話で先生に経過を説明していました。前回までで書きましたが、経過は以下の通りです。

 

今のところ、長男は進学はしないという意思を示している。ならば消去法ですが「働く」という進路しかない。でもすぐに正社員として働くのは無理があるので、アルバイトをして社会経験を積む。そこで、3月中にアルバイトを決める約束をしている。しかし、残念ながら高校生活も残りわずかとなった今でもアルバイトの面接を受けている様子はない・・・。先生には、経過を伝えたうえで、長男にハッパをかけて欲しいと伝えていました。

 

さて、面接の当日。先生は、私がこれまで大変お世話になったお礼を伝えたのもそこそこに、さっそく長男に厳しく話し始めました。正直、私は、この「進路について」ということに関しては長男にはこれまで厳しいものの言い方をしてきませんでした。それは長男は厳しい言い方をすると心を閉ざしてしまい、話し合いにならないからです。小さい頃はそれでも通用したのですが、大きくなってからは長男自身で決めなければならないことも多く、話し合いにならないと何も進まなくなるのです。だからこそ長男の心に寄り添い、支えてあげる立場を貫いてきました。しかし先生はそんなことはお構いなしに、厳しい口調で「一体これからどうするんだ?」と迫りました。そして案の定、長男は心を閉ざしました。

先生は面談は「30分」と考えていたようでした。しかし長男は先生からの問いかけにウンともスンとも言わなくなっていました。時間だけが過ぎ、予定の30分も過ぎました。先生はこれで面接を終わらせようと、話をまとめに入りましたが、この時点で面接の成果はまったく見られませんでした。そこでついに、先生にも「根競べに付き合ってやろう」という意思が沸き上がるのを感じました。約束の30分を超えて1時間でも2時間でも付き合ってやろうという覚悟を感じました。

結局、面接は1時間半に及びました。根負けしたのは長男の方でした。面倒くさそうな感じで「じゃあそれでいいです」と長男が言えば、「じゃあって何だよ」と先生が言う。そんなやり取りが何度か繰り返された結果、長男は「4月3日までにアルバイトの面接を受ける」という約束をしました。アルバイトを始めるには長男の能力的な問題もありますが、面接を受けるだけなら誰でも受けられるはずです。だから「面接を受ける」ということを目標として約束しました。

今になって思うと、先生の気迫には驚かされました。大体の3者面談では親の目を気にして先生は子どもに優しくなりますが、この先生は違いました。そして根競べにも勝ちました。親だからこそ寄り添わざるを得ない、だからこそ先生に厳しいことを言ってもらう。それを見事に体現してくれました。

面接を終えて外へ出ると、空は暗くなっていました。長男の不登校昼夜逆転に悩み、何度も相談に乗ってもらった高校でした。もう二度と先生に会うことも学校に来ることも、相談に乗ってもらうこともできないと思うと、生徒である長男よりも私の方が不安になっていました。厳しいことを言われて落ち込んだりイライラしているであろう長男とはあまり学校のことは話さずに、どうでもいいことを話しながら帰りました。

 

長男のアルバイトが決まったのは、それから10日ばかりした後のことでした。

先生との約束通り、アルバイトを探し始めていることは何となく感じていました。そんな長男が突然「マイナンバー?ってある?」と聞いてきました。アルバイトが決まったんだ!と瞬間爆発的な喜びが私の中で弾けましたが、長男の気持ちや負担になってもいけないと配慮して、極力いつも通りマイナンバーを教えたのち、「アルバイト、決まったの?」といつもの調子で聞きました。

決まったアルバイト先は近所のお弁当チェーン店でした。そこは長男が病院に通うようになった夏ごろに、接客は難しいだろうからと厨房であまり多くの人と関わらずに働けるところとして、私が探して紹介したところでした。多くは語りませんが、きっと自分が働ける場所ということで、私のアドバイスを少しだけ聞いてくれたのではないかと思います。夕方から夜までの5~6時間を週3~4日、厨房の揚げ物パートで働くという仕事で、当面はあまりレジには出ないということでした。

そして、4月からアルバイトを始めました。先生には約束の4月3日に、メールで結果をお伝えしました。電話で伝えた方がいいとは思いましたが、私自身が仕事で忙しかったため、メールにしました。先生からも返信があり、とても喜んでくれている様子が伝わってきました。先生としても、恐らく最後まで心配だった子の一人である長男がなんとか進路を決めることが出来たことに、肩の荷が少しだけ軽くなった思いだったのではと思います。

 

とにもかくにも、長男は自分の力で進路を決めることができたのです。