ひろしせんせーのひとりごと。

44歳の脱サラ保育士ひろしせんせーが書いています。

自分の未来を創造する子どもたちに贈る言葉

長男が不登校となり、高校の留年がほぼ確定したころ、長男と将来についてしっかりと話し合わなければなりませんでした。そこで、私は長男に以下のようなことを話しました。自信を失い、将来に希望を失っている長男に、「君には何だって出来るんだ」ということを覚えておいてもらいたくて話したことです。このことはもしかしたら、長女や次男にも(不登校にはならなかったとしても)同じことを言う日が来るのではないかと思い、ここに記しておきます。

 

私は、人生は何もない荒野を進んでいく過程だと考えます。

 

人が生き、歩んでいく目の前には「道」などはないと考えます。目の前には荒野が広がっており、歩んできた後ろにこそ道ができている。大人になり、人生を進んでいくにつれ、荒野の先に朧げに何かが見えてきて、そちらに向かって歩んでいく。時には朧げな何かが間違いだと気づき、進む方向を変えたり、来た道を少し戻ってみたり、そうやって少しずつ前へ進んでいく、それが「人生」というものなのではないでしょうか。

 

ただ、何もない荒野を進んでいくには不安だし、下手をすると迷子になってしまいます。だから荒野を進んでいくためには「地図」が必要です。「地図」とは「知識」だと思います。人生を歩んでいくための「知識」、それが人生という荒野を進んでいくための「地図」になります。子どもたちが学校で学ぶのは、人生を進んでいくための地図を持つための作業です。学校で先生に教えてもらうことだけが知識ではなく、部活や、運動会や文化祭といったイベントを成功させていく過程も、友達を作り、遊び、話し合うことも、人生を切り拓く地図になるでしょう。また一人で本を読んだり、マンガや映画やゲームをして影響を受けることも地図を作るキッカケとなるでしょう。つまり子どもたちの生きるすべての時間が地図を作る作業になると私は考えます。

 

長男が不登校となったのは高校2年、17歳の冬でした。日本人の平均寿命がこのまま伸びていき、長男は85歳まで生きるとしたら、17歳はまだ人生全体の2割でしかありません。1日24時間で換算すると2割は午前4時48分になります。私だったらまだぐっすり寝ている時間です。冬なら外はまだ真っ暗です。自信を失っている17歳の長男ですが、1日はまだ始まってもいないんです。私が起きるのは午前6時半です。年齢にすると23歳。会社で仕事が始まるのが午前8時半だとするなら、年齢なら30歳ということになります。つまり、一生をかけて為すべき仕事を見つけるのは、30歳くらいで丁度いいのではないでしょうか。

 

前にも書いたように、人生は間違えたと思ったら方向転換をしてもいいし、少し道を戻ってもいいんです。事実私は18年間働いた公務員を辞め、42歳で保育士となりました。それが正しい選択だったのどうかは私が死ぬ間際にならなければわからないでしょうが、少なくとも44歳となった現在は正しい選択だったと考えています。一度しかない人生だから、本当にやりたいことを見つけ、悔いのない選択をしてもらいたいと思います。