ひろしせんせーのひとりごと。

44歳の脱サラ保育士ひろしせんせーが書いています。

長男、不登校になる④~高校3年生はどこへ行く

長男が「高校は卒業したい」と意思表示をした次の日、長男に気が変わらないうちにと通信制の高校を見学することにしました。

すでに近所の通信制の高校をピックアップして伝えていたので、朝イチでその日の午後に見学に行きたいと、2つの学校へ連絡をしました。学校側はこの時期よくあることなのか、2校とも当日のアポイントでも快く受けてくれました。長男はこの期に及んでもほとんど昼夜逆転のような生活をしていたので、連れていくことはできないかもしれないとも伝えましたが、どちらも父親だけでも構わないと言ってくれました。

 

午後休を取って家に帰ると、長男は起きたばかりと言う感じで、パジャマのままケータイをいじっていました。正直、前の日に話をしたとはいえ、長男が素直に高校の見学に行くかどうかは半々だと思っていました。ですが前の日に見学に行くことを約束しているので、当たり前という感じで「見学に行くから着替えな」と伝えると、意外にも素直に動いてくれました。

 

見学に選んだ学校は2つで、それぞれ特徴の異なる学校を選びました。

1つは自転車でも行ける距離にあって、職場の同僚の息子さんも通ったことのある学校でした。私と長男は先にこちらの学校へ見学に行きました。対応してくれたのは、おそらく学校のユニフォームなのであろう紺のブレザーを着た、色の黒い体育会系の若い男性2名でした。はじめての見学なのでそんなものなのだろうと思ってはいましたが、この体育会系男子にひ弱な不登校の気持ちがわかるのだろうかとの疑問が湧いたのは確かです。また、説明はすべて保護者である私に対してしておりました。入学を決めるのはあくまで長男です。できれば長男に現状を聞き、学校の説明をしてもらいたかったところです。さらに、説明の最後には学費についての説明までしました。自分が転校することになったせいでこんなにお金がかかっていると知る長男。私としては長男には自信を取り戻してほしかったので、お金の話はしてほしくなかったところです。

単位は課題を提出するだけなので、課題の中身も見せてくれましたが、中学校の中間テスト程度の簡単なものでした。総合的な感想としては、「卒業」だけはできるかもしれないなとは思いました。ただ、学校側のサポートには期待できないと感じました。

長男は高校の課題が出せずに留年になったわけで、たとえ課題が中学生レベルだったとしてもクリアできるとは限りません。また、卒業できたとしても、その後どうなるのか。進学や就職ができるのか。私は長男は「今のまま」では進学や就職をしても長続きはしないと思っていました。だから通信制の1年間でどこまで成長できるか、進学や就職をどれだけ支えてくれるのかが学校に求めるポイントだと思っていました。そう考えると、この学校では将来が見えないと感じました。

 

2つ目の学校は、少し都心まで出なければならないのですが、サポート校併設型の通信校を見学しました。サポート校とは、不登校など様々な理由で学校に行くことが出来ずに通信制を利用することになった生徒をサポートするための学校です。通信制高校に通う生徒をサポートするための学校ですから、この学校に入るには通信校とサポート校の両方に入ることになるわけです。ちょっと複雑ですが、私的には全日制のチャレンジ校などと同じようなものなのかな程度に考えていました。

対応してくれたのは、学校の校長先生でした。行ってみてわかったのですが、私と長男が行った場所は通信校の校舎ではなく、サポート校の校舎でした。だから校長先生と言ってもサポート校の校長先生なので、いわゆる高校の校長先生という感じではなく、ちょっと感じのいいおじさんという風情でした。

その校長先生の第一声は「なんにも心配することはない」でした。しかも、私にではなく、長男に向かって声をかけてくれました。それから先生は長男にどうして不登校になってしまったかを尋ねました。長男はなかなか答えられませんでしたが、先生は長男が口を開くまで、じっと待ってくれたのでした。

 

正直に言います。私は不覚にも泣きそうになりました。

私は子育て親子を支援するのが仕事ですし、不登校の子を支援をしたこともあります。一応プロとしての知識と技術を駆使しつつ、当事者として長男と向き合ってきたつもりでした。しかし「心配することはない」と言われた瞬間、心がフッと軽くなった気がしたのです。隠していた不安に気づくとともに、それを少しだけ誰かと分けあった気がして、軽くなったような気がしました。私はこの学校になら長男を任せられると思いました。

しかし先ほども書いたように、学校を決めるのは長男です。どんな反応をするかと思いましたが、幸いにも長男の感想は私と同じものでした。

 

こうして、長男は高校3年生の行き先が決めたのでした。