ひろしせんせーのひとりごと。

44歳の脱サラ保育士ひろしせんせーが書いています。

長女も不登校になる①~長女という2番目の子

長男が不登校になって半年が経ったころ、長女も学校に行きたくないと言い始めました。

長男が不登校になってから恐れていたことが起きました。ついに来たかという感じです。

 

長女は長男の3歳年下で、学校に行きたくないと言い始めたときは中学3年生でした。長女の性格は一言で言い表すのは難しいです。家では底抜けに明るく異常なくらいにハイテンションですが、外ではピタリと大人しくなります。学校の成績もそこそこで、委員会活動や部活動も手を抜かない、先生からすれば優等生タイプでしょう。

さいころから割と個性派ぞろいの保育園や学校のクラスで過ごしましたが、あまり周りに流されないタイプで、男の子でも女の子でも関係なく遊ぶ子でした。しかし小学校高学年頃からでしょうか、やはり男の子とは遊ばなくなり、いつの頃からか「周りが求める自分」であろうと頑張るようになったように思います。

そんな風に分析できたのは、長女が学校に行きたくないと言い出してからです。

 

周りが求める自分であろうとすること自体はおかしなことではないと思います。誰しも生きていれば何かしらの役割を与えられ、その役割をこなそうと四苦八苦しているうちに、その役割が身についてくるものです。先輩や上司に向いてないと思っていた人も、いつしか先輩や上司っぽくなっていくものです。だから長女が周りに合わせて自分を変えることは、成長の一過程と言えると思います。しかし長女が他の人と違うのは、身近に長男と言う不登校の例がいたことです。

 

長男は当時毎日家にいてパジャマのままケータイをいじる毎日でした。不健康そのもので、長女もさすがに「こうはなりたくない」と思っていました。しかし長女自身の気づかないところで、「学校に行かない」という選択肢ができてしまっていたのです。

普通、学校には「行く」の一択しかありません。小学校1年生の頃から周りのみんなが行っていて、親が普通に送り出していれば、いくら思春期や反抗期でも、ほとんど盲目的に「行く」わけで、風邪でもひかない限りは「行かない」という選択肢はないのです。しかし身近な兄弟に行かない例が存在する長女には、「行く」と「行かない」という二択になってしまったのです。

二択になってしまうと、嫌なことがあったときに「行く」と「行かない」を天秤にかけることになります。中学生とはいえ将来を見通す力が弱い子どもは当然「行かない」を選びたくなります。

 

先ほども書いたように、長女は長男を見て「こうはなりたくない」という思いもありました。だから「行かない」を選びたい自分と、長男のように苦しみたくないと思う自分と、激しい葛藤がありました。泣きながら「行きたくないよ」と訴えました。そんな長女の姿を見て、無理に学校に行かせようとは言えませんでした。「明日は学校に行こう」と約束をして、その日は一日休ませました。

 

しかし次の日も、学校に行きたくないといって泣き出したのです。