ひろしせんせーのひとりごと。

44歳の脱サラ保育士ひろしせんせーが書いています。

長男、不登校になる④~転校手続き

出席日数が足りないために留年が確定的になってから、通信制の高校の見学をはじめ、家からは少し離れているもののサポート校の通信制高校に転校することを決めた長男。通っていた高校にも転校する意思を伝えました。

 

長男の場合、学校を一度辞めて入りなおすのではなく、2年生が終わって3年生は別の高校へ通うという「転校」の扱いになります。一度辞めてしまうと「退学」という扱いになり、2年生までに取った単位はすべてなくなって、イチから取り直さなければなりません。しかし「転校」なら2年生までに取った単位をそのまま次の高校へ引き継げます。もちろんそのための手続きを学校間でしなければなりません。手続きと言っても、前の学校に1通郵送するだけで、あとは学校間でやってくれます。むしろ新しい学校への入学手続きの方がたくさん書類が必要なので面倒です。

 

手続きとは別に、長男と最後に前の学校に行く必要がありました。

私は長男には転校をマイナスに感じて欲しくありませんでした。学校に行けなくなった自分を必要以上に責めず、むしろリスタートに向けて前向きの感情をもってもらいたかったのです。負の感情のまま新学期を迎えても、やはり学校に行くことはできないと思ったからです。そこで、通っていた学校に最後の挨拶をしに行くことにしました。

名目は学校に置きっぱなしになっていた教科書や上履きを取りに行くということで、3月の中旬に私と長男は学校へ行きました。荷物が結構多いらしいので、車で行くことにしました。長男は少し嫌がりましたが、「学校にある私物は長男にしかわからない」と言うと、素直に従ってくれました。

 

途中でお昼を食べ、車を学校近くのパーキングに停めました。これまで何度か学校に足を運びましたが、いつも曇り空だったような気がしますが、この日はよく晴れていました。学校に行かなくなってからは毎日が心配の日々で、私はずっと胸の奥がもやもやしていました。しかしこの頃は目の前の視界が開けた気がして、気持ちも少し楽になっていました。

先生はなるべく生徒のいない時間をと配慮をしてくれたのですが、車を停めるのに時間がかかったため、下校の時間で校舎内はたくさんの生徒で賑わっていました。そのため、長男も私とは別に、先に行きたいと言ってきました。確かに、制服を着た生徒たちの中に私服のオジサンはかなり目立ちます。長男と一緒にいれば父親であることは明白です。恥ずかしくないはずがない。ですが実のところ、「この期に及んで逃げるのでは」と、私は心の片隅で思ったことを懺悔します。長男はそんな私の心配をよそに、一人で堂々と学校に入っていきました。

 

長男は私物をすべてカバンに入れ、担任の先生と最期の挨拶をしました。この年はコロナの影響で例年以上に不登校になる生徒が多かったそうです。割と感情が表情や言葉に出にくい先生ではありましたが、これからの長男に対する励ましの言葉の裏には、卒業まで見送ることが出来なかった悔しさがにじんでいたように聞こえました。

 

ともあれ、学校への最後の挨拶を終えた長男は、晴れ晴れとしているように見えました。この年は暖冬だったせいか、3月中旬でしたが桜の花がチラホラと咲き始めていました。そこで、私と長男は帰りにそのまま花見をすることにしました。それもいつもの公園ではなく、あまり行くことのない場所で。

こういうとき、私は「持ってない人間」です。あまり行ったことのない公園をチョイスしたため、渋滞にはまってしまいました。そのうえ、着いた公園には桜はまったく咲いていませんでした。桜の名所と取り上げられていたのですが、まだまだ時期が早かったようです。

 

暖かい午後に長男と二人で桜を見上げられれば、新しい高校生活も少しは違っていたのかもしれません。私と長男の不登校との戦いは、まだまだ続くのでした。