ひろしせんせーのひとりごと。

44歳の脱サラ保育士ひろしせんせーが書いています。

長男、不登校になる⑧~好調期

 6月中旬に久しぶりに登校することができた翌日と翌々日、3日間連続して登校することが出来ました。もちろんクラスに入って授業を受けるわけではないけれど、「学校へ行く」ということを続けられることが大進歩でした。

 しかし次の週は疲れてしまったのか1週間丸々休みました。また元に戻ってしまったと焦った私は日曜日に長男に声をかけました。すると、次の日、また学校に行くことが出来ました。月曜日から学校に行けるなんてスゴイと思ったところ、やはりその週はその日だけしか行けませんでした。その後、学校の近くまで行ったものの登校はできずに帰ってきてしまった日もあり、また1週間丸々休みました。その次の週は1日おきに3日も行けました。

 そんな感じで行ったり来たり、親としては一喜一憂でした。今日は行けただろうかと心配し、声をかけるかどうか迷い、行けない日が続けば意を決して夜に話し合いをし、行けた日は心底ホッとしていました。心の中はまさにジェットコースターです。

 ただ、長男は少しずつ自信を取り戻したのか、週に3日も行けた日には「アルバイトをしてもいいか」と聞いてきました。長男の力では採用は難しいと思っていましたが、「もちろんいいよ」と応えました。ただ、面接に落ちて自信を喪失してしまうのが怖かったので、面接で落ちることは当たり前にあるとだけ伝えました。

 

 7月の後半に入ると、世間が夏休みに入ったため、長男も夏休み気分になってしまいました。しかし先生から夏休み中も来てもらいたいと励まされ、7月の終わりから8月の上旬にかけて3日ほど登校しましたが、やはり気持ちが負けてしまったのか、その後ぱたりと登校することができなくなりました。

 

 長男には中学生時代の友達が一人いました。不登校となってからは高校時代の友達とはやり取りがなくなったので、遊び相手と言えばこの中学時代の友達だけでした。ある日、夏休みなのでこの友達と遠出をして遊びに行くことになりました。しかし長男にはお金がありません。不登校になって以来、おこづかいはあげていなかったので、長男が自由にできるお金はほとんどありませんでした。当然、遊びに行きたい長男は私におこづかいが欲しいと言ってきました。学校に行っていない長男にとって唯一の社会との接点である友達との付き合いは維持してもらいたい、しかし学校に行こうとしない長男にタダでおこづかいをあげるわけにはいかない。そこで、「8月中旬までに学校の課題を終わらせて提出すること」を条件におこづかいをあげることにしました。

 

 残念ながら約束は守られることはありませんでした。所詮は口約束です。あとになって金を返せと言っても仕方ありません。親として甘いと言われるかもしれません。しかし長男はそれほどズル賢くはないため、口約束とは言え厳しめに言うことで、何か変化があると信じていました。

 約束の期限までわずかという頃、夜な夜な課題に取り組んでいる形跡がありました。長男の通っている通信校の課題はそれほど難しいものではありません。レベルで言えば中学生程度。やろうと思えば一晩でかなりの量がこなせてしまうものです。約束の8月中旬にこっそり課題を見てみると、すでに終わっているように見えました。しかし、「提出する」ということができないでいました。提出するには学校に行かなければならないからです。(本当は郵送でもいいんですが、長男には思いつかなかったようですし、私も登校してもらいたかったので敢えて言いませんでした。)

 

 8月も下旬になったころ、心配した学校の先生から連絡がありました。それをキッカケに、改めて長男ときちんと向き合って話し合うことにしました。ちょうどその頃、私の職場でコロナが発生し、2日間ほど休むことになったことも影響しました。長男に、なぜ課題がやってあるのに提出しないのか、登校するのに何の障害があるのか、先生はいつでも来ていいと言っていると問いかけましたが、長男の返事は生返事ばかり。行くとも行かないとも言わず、「わかったわかった」とだけでした。私は苛立ちましたが、感情的になるのは良くないので、あくまで冷静に長男の返事を待ちました。しかし残念ながら長男から明確な返事は得られないまま、仕事に出かけなければならなくなりました。

 仕事と言ってもコロナのため職場に長居はできないので、2時間ほどで帰ってきました。すると、家に長男の姿がありませんでした。見回すと、いつも学校に持っているカバンがありません。出しっぱなしだった課題もなくなっています。あれほど「行く」と言わなかったにもかかわらず、ほんの2時間家を空けた隙に、長男は学校に課題を提出に出かけていました。

 私はとても複雑な気持ちでしたが、結果オーライということで何も言いませんでした。

 

 こうして、6月中旬から8月にかけて、わずか12日だけでしたが登校することができ、長男はめでたく前期分の課題をすべてクリアすることができました。

 しかしその後、再びパタリと登校することができなくなりました。それと同じくして、長男は体調の変化を訴えてきました。