ひろしせんせーのひとりごと。

44歳の脱サラ保育士ひろしせんせーが書いています。

長男、不登校になる⑦~高3の夏

 長男は夜中に一人で飛び出したあくる日、ついに学校へ行きました。

 

 朝、仕事に行く支度をしていると、長男が珍しく起きてきて、「学校に行く」と言ってきた。とてもとても、とても嬉しかったが、下手に刺激をしてはいけないと思い、ただようやく向き合ってくれる気になってくれたことについて、「ありがとう」と伝えた。一人で行けるかも一応聞いてみましたが、行けるとのことだったので、心配ではありましたがいつもどおり先に出勤しました。

 出勤してすぐ、学校の先生には朝の出来事をメールし、迎え入れてくれるようお願いしました。

 

 これは後で聞いた話ですが、長男は都心にある学校まで徒歩で出かけたようでした。その道のりは2時間近くかかったはずです。歩いて学校の前(学校と言っても通信校なのでいわゆる校門などはなく、ビルの1フロアにあります)までやってきて、学校の前で逡巡していたところを、気にかけてくれていた学校の先生が発見してくれ、ようやく登校できたということです。

 学校の先生は、長男が帰った後、すぐに私に電話をくれました。その日長男と初対面だったため、先生は時間をかけて雑談をしたそうです。どんなことが好きなのか、普段何をしているのか、他愛のないことを話したとのことでした。そして最後に一つだけ聞いたそうです。「これからどうしたいか」と。

 言葉で表現することの苦手な長男は答えられずにいたそうです。それでも根気よく待ち続けていると、長男は「大学に行くのは無理だろうから、専門学校にでも行くのかと思う」と応えたそうです。

 もちろん専門学校はやりたいことを専門的に学ぶ学校であり、大学に行けない人が行くところではありません。やりたいことが見つからない長男がどんな専門学校に行くというのか、それにまだ6月ですから、大学進学だって無理ではないはずです。おそらく長男にとっては、何をやってもどうせダメだし、将来なんて想像できない、というのが本音だったのかもしれません。

 

 その日、先生はよく来てくれたとたくさん褒め、雑談をし、明日は課題の話をしたいからまた来てくれないかと言って帰したそうでした。18時頃に帰宅すると、長男はまだ帰っていませんでした。よく頑張ったという達成感からか、寄り道をしてきたようでした。帰宅した長男には学校に行った感想を聞いてみましたが、あまり言いたくないようだったので、敢えて深く聞きませんでした。私と長男が好きなアニメのガチャガチャをして帰ってきたので、また明日もやってきてくれないかとお願いだけしました。

 

 すったもんだがありながらも、何とか自力で登校できたのは全身でした。しかし前の学校に1月から行かなくなり、その後登校したのは1日だけ。学校を新しくし、4月のオリエンテーションに1日だけ登校しました。1月から半年で2日だけしか学校に行っていませんから、今回も1日だけ登校してまた行かなくなるかもしれない。まだまだ心配は尽きませんでした。

人権について考えよう

今回は「人権」について考えていきます。

なぜ唐突にそんな話題になるかと言うと、保育士は人間を育てるという職業上、人権に対して最低限の知識を身に着けておく必要があります。ということで、私の職場では子どもの人権に関する仕事をしていた社会福祉士でもある私が、年に1回レクチャーすることになっています。そのための備忘録として記す次第です。

 

今回のひとりごとの流れは以下の通りです。

1 今回の目的

2 人権とは何か

3 人権問題の種類

4 子どもの人権問題

5 保育園における子どもの人権

6 児童虐待の種類

7 児童相談所と市区町村の機能

8 保育園における児童虐待の発見

9 近年の児童相談における課題

 

1 今回の目的

 冒頭でも述べた通り、保育園で働くことは「人間を育てる」ことです。後述しますが、人権は子どもにも認められる尊重しなければならない権利であり、また子どもであれ他人の人権を尊重しなければなりません。自分の人権を大切にする=「自分を大事に思う」ことであり、他人の人権を尊重する=「他人への思いやりをもつ」ということです。保育士は自分を大切にし、他人を思いやることのできる子どもを育てるためには、「人権を尊重する」ということの意味を、難しい言葉ではなく、優しい言葉や態度、経験の中で伝えていかなければなりません。そのためには、人権に対する正しい、そして最新の知識を備えておく必要があります。

 保育園には外国にルーツを持つ子どもや保護者、子どもたちには男女やLGBTQ差、病気や障害を持つ子どもや親がいたり、家庭には経済的格差があります。また職員の中にも、様々な背景をもった職員がいます。多様な人間が関わる保育園においては、意識しなければならない様々な人権問題があります。

 そうした人権意識をきちんと身に着けるとともに、後半では子どもの人権に対象を絞って、保育園として子どもの人権の守り方について触れたいと思います。

 

2 人権とは何か

 人権とは「人間であることに基づく普遍的権利」です。日本国憲法11条では「基本的人権」として明記されており、具体的な権利として13条で幸福追求権や21条で表現の自由などが明記されています。これらは日本国民であることに基づいて尊重されるべき「人権」です。逆に言うと、何らかの理由によってこれらの権利が不当に侵害されることが「人権問題」と言えます。そんな堅い話をしてもなかなか響かないので、最近流行りのSDGsから、なぜ人権を守らなければならないのかを見てみます。

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SDGs

 SDGsでは持続可能な開発目標として17の目標を掲げています。この中で「人権」に関わる目標がたくさんあります。

 1~3の「貧困」「飢餓」「健康と福祉」は、いわゆる経済的格差によって人間として受けられるべきサービスを受けられない状況をなくすための目標です。4は「教育権」、5は「性差」による人権侵害、8は「労働権」、10は「平等権」、16は生命、自由、安全に対する権利を目標として掲げており、17の目標のうち半分くらいは人権に関わる目標になっています。SDGsでは、誰かの犠牲の上に成り立つ開発ではなく、世界中の誰もが人権を実現し、幸せになる開発目標を掲げています。「地球に優しい」のと同じくらい、「人権問題の解決」が重要であると理解してもらいたいと思います。

 

3 人権問題の種類

 人権とは何かについて考えると学術的になってしまい、何時間もかかってしまうので、もっと簡単に人権を意識する方法として、人権問題=人権が不当に侵害されるパターンを考えたいと思います。

 先ほど、何らかの理由によって権利が不当に侵害されることが「人権問題」と言いました。もう少し簡単に言うと、世界人権宣言では「人は生まれながらに自由で尊厳と権利は平等」と書かれていることから、何らかの理由により「不自由」「尊厳が害される」「不平等」となったとき、人権問題が発生していると言えます。

 では何らかの理由とは何でしょうか。特に私たち日本人には、どんな人権問題があるでしょうか。以下の分類は私がわかりやすいようにまとめたものです。

①国籍や人種による人権問題・・・外国人、人種、皮膚の色、言語、宗教

②出身や出生による人権問題・・・同和、福島、親の出自や職業

③年齢や地位による人権問題・・・子ども、高齢者、労働者、職業

④その他の人権問題・・・貧困、病歴、障害、性別、LGBTQなど

 日本以外の国にルーツを持つ日本国籍のスポーツ選手が活躍することが多いですが、そのほとんどが肌の色や人種、言語において差別や偏見を受けています。逆に、日本以外の国籍を取得しているのに日本にルーツを持つためにノーベル賞を受賞して喜ばれるパターンもあります。これは日本という国がいかに容姿を重要視するかということ顕していると思います。

 最近ではSNSでの発言が炎上したり、過去や出自が暴かれて炎上するケースが多々あります。逆にSNSで他人を攻撃することそのものが人権侵害の場合もあり、SNS上は人権問題のオンパレードと言っても良いでしょう。

 上記のように、人権問題は見渡せばゴロゴロと落ちているものです。保育園でも少なくとも上記の人権を意識するようにしてみると、子どもたちに人権感覚を教えてあげられる機会はいくつも落ちているはずです。

岸田内閣の顔ぶれ | nippon.com

(この記事を書いている当日に岸田内閣が発足。岸田内閣の女性登用数はわずか3人。世界113位だった数年前よりさらに悪化。)

 

4 子どもの人権とは何か

 つづいて、人権問題の中でも「子ども」、特に保育園に関係する乳幼児の人権に絞って話をしたいと思います。

 まず子どもの人権を侵害する人は誰でしょうか。大きく分けると「大人」と「子ども」に分けられます。

①大人 ・・・保護者による虐待、保育士等による虐待、不審者による加害

②子ども・・・同年代によるいじめなど

 この中で、不審者対応やいじめについては、ここで語ることではなく、保育園の危機管理や保育の質に関する研修によって理解を深めていただきたいと思います。

 保育士等によるが虐待については、個人の資質のように思われがちですが、保育士が子どもに虐待をするのにもいくつかのパターンがあり、保育士同士の連携や配置の変更、危機管理やヒヤリハットの検証などでかなりの改善が見込めると考えます。また、虐待には至らないまでも、保育士が意識せずに子どもを傷つけてしまうこともあります。前半部分で人権侵害の種類について触れましたので、そのあたりに十分留意しながら保育する必要もあります。

 そのあたりについても保育士にとって大切な問題ですが、別の機会に譲り、今回は保護者による虐待について話したいと思います。

 

5 保育園における子どもの人権

 ここからは、保護者による虐待=児童虐待について話したいと思います。

 まず考えをアップデートしてもらいたいのは、よく虐待は「降って湧く」ように思われることがありますが、児童虐待の多くは「なるべくしてなる」「起こるべくして起こる」ものです。先日、園長先生向けの児童虐待に関する講演会のチラシを見ましたが、「いざというときのために」知識を身に着けておきましょうというスローガンでした。まるで「いざというとき」が突然起こるような感じがしますが、私は「いざというとき」は突然起こるのではなく、見つけ出すものだと思っています。

 経験豊富な先生であれば虐待家庭の子どもを受け持ったこともあると思いますが、大概が「言われてみれば納得」の家庭ではなかったでしょうか。虐待家庭には「虐待家庭に陥るかしれないリスク」が存在しています。そうしたリスクをどうやってみつけ、どう早めの支援をしていくかが、児童虐待防止のポイントになります。

 

6 児童虐待の種類

 虐待リスクについて語る前に、保育士資格を持っている人は勉強しているはずなのでご存じだと思いますが、児童虐待の種類について整理します。児童虐待には以下の四類型があります。

身体的虐待 殴る、蹴る、叩く、投げ落とす、激しく揺さぶる、やけどを負わせる、溺れさせる、首を絞める、縄などにより一室に拘束する など
性的虐待 子どもへの性的行為、性的行為を見せる、性器を触る又は触らせる、ポルノグラフィの被写体にする など
ネグレクト 家に閉じ込める、食事を与えない、ひどく不潔にする、自動車の中に放置する、重い病気になっても病院に連れて行かない など
心理的虐待 言葉による脅し、無視、きょうだい間での差別的扱い、子どもの目の前で家族に対して暴力をふるう(ドメスティック・バイオレンス:DV)、きょうだいに虐待行為を行う など

厚生労働省児童虐待の定義」より抜粋

 

7 児童相談所と市区町村の機能

 続いて、児童虐待対応の流れについて説明します。

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厚生労働省「市町村・児童相談所における相談援助活動系統図」)

 上の図はだいぶ分かりにくいとは思いますが、左上に家庭や子どもがあり、中央に市区町村があります。市区町村は保育園をはじめとする行政サービスの利用調整をして子どもや家庭を支援します。市区町村の右に児童相談所があります。児童相談所の最大にして唯一の機能は保護です。子どもを家庭から分離し、一時保護したり施設入所したりする機能があります。つまり市区町村と児童相談所の機能の違いは「支援」と「保護」と考えてよいと思います。援助方針の枠組みを作る相談支援については、どちらも行っていますし、専門性については児童相談所の方がやや強いものの、家庭との物理的な距離感からくる情報力やきめ細かい支援については市区町村の方に強みがあります。

 私個人としては、支援と保護を相談支援の両輪として虐待予防と対策をしていくのが効率的ではないかと思うので、市区町村レベルに児童相談所機能の一部を降ろすべきではないかと考えますが、それは別の話です。

 さて、児童相談所には親の意に反して子どもを一時的に保護する権能(職権保護)があります。しかし職権保護は非常に強い人権侵害でもあるため、警察の逮捕権と同様、虐待が行われたという確かな証拠のようなものがなければ、そう簡単にできるわけではありません。以下に職権保護が可能となる目安をまとめました。

①身体的虐待・・・身体的な外傷があれば虐待の認定ができますが、逆に言うと痣傷などの目に見える外傷があり、しかもその傷が虐待よって負ったものであると推定できない限り、身体的虐待で職権保護することはできません。痣傷があっても子どもがどこで受傷したか説明するのは難しい場合や、第三者から伝え聞いた情報などでは職権保護はできません。

性的虐待・・・性的虐待の被害は子どもの心理テストによって把握することができ、加害行為が明らかになれば即職権保護の対象となります。しかし子どもは性的被害をうまく説明することが出来ないことが多く、被害はあっても加害者は誰で、加害行為があるのかどうかも明確にすることは困難です。性的虐待は虐待事例のうちの数パーセントですが、最も明らかにするのが困難な虐待と言えます。

③ネグレクト・・・ネグレクトと心理的虐待は上記2つの虐待と異なり、すぐに保護しなければならない事案には当たりません。故意や過失によりネグレクトの状態になったとしても、児童相談所からの指導や行政による支援があれば改善する余地は多分にあります。したがって改善の見込みがなく保護を検討する場合でも、通常は職権ではなく合意に基づく保護を試みます。

心理的虐待・・・虐待件数の半分以上を占めるのが心理的虐待であり、多くの場合、心理的虐待だけで職権保護することはありません。私たち保育に関わる仕事をするものにとっては、怒鳴る、無視する、夫婦喧嘩をするなどは子どもの育ちに大きな悪影響を与え、虐待の連鎖を生み出す温床となると肌身で感じていますが、児童相談所の一時保護所では手が回らないのが現状です。

 児童相談所の一時保護の機能は、子どもの生命を保護するためには躊躇するべきではありませんが、一方で子どもと親に対する強い人権侵害でもあるため、安易に発動してよい機能でもありません。証拠を固め、行政の指導や支援を尽くしても救うことが出来ないと判断したときに初めて発動するものであり、児童相談所職員はそのせめぎあいの中で仕事をしていると言ってもよいと思います。

 

8 保育園における児童虐待の発見

 では、世の中から児童虐待をなくすにはどうしたらいいでしょうか。児童相談所児童虐待対応のための専門機関であり「保護」と言う強い機能を持っていますが、逆に言うと親から子を引き離す「保護」という機能しか武器がないため、児童虐待が起きた後でしか対応できない機関です。児童虐待が起きた後に対応するのでは、児童虐待をなくすことはおろか件数を減らすことも永遠にできません。警察の権力をいくら強くしても犯罪はなくならないのと同じです。児童虐待の件数を減らし、ゼロに近づけていくには、虐待が起こる前に支援していく「予防」が必要です。先ほど児童相談所と市区町村の機能のところでも触れたように、児童虐待を「支援」により対応するのは、市区町村の役割です。夜間の預かりならショートステイ、家の中を清潔に保つなら訪問ヘルプサービス、保健師医療機関を紹介したり同行受診をしたりもします。そして日中の預かりが必要なら保育園の入園調整をします。つまり、子ども福祉の一翼を担う私たち保育園は、児童虐待が起こる前に支援する取り組みができる機関なのです。

 そこで、先ほど児童虐待は起こるべくしておこるものであり、「虐待家庭に陥るかもしれないリスク」が存在すると述べたことを思い出してください。そうしたリスクが存在するなら、早期にリスクを発見し、それに対する支援をすることが児童虐待の予防につながるのではないでしょうか。

 児童相談所では、児童虐待の事案が発生した場合、社会、心理、行動、医学の4つの視点から診断(アセスメント・課題分析)をし、総合的に判定をして援助方針を決定します。「診断」というと難しい専門的な知識が必要に思えますが、単純に保育園などの関係機関から集めた情報を積み重ねていくことが社会診断や行動診断の中身です。そして援助方針の決定には多くの場合、この社会診断の情報がモノを言います。言い換えると、保育園で入手できる情報から虐待家庭への援助方針を検討することも可能なのです。

 保育園に通っているご家庭の中には、子育てが不器用なご家庭は珍しくありません。登園時間が守れない、提出物が出てこない、休みの連絡がないなど、他の家庭と比べると少し問題があると感じる家庭もあります。子どもの行動も同様です。他の子に手が出やすい、注意力が散漫、愛情不足を感じさせる行動が見られたりする子もいます。それぞれを一つとって「虐待リスク」とは言えませんが、虐待リスクは情報の積み重ねによって徐々に明らかになってきます。2つ3つ重なった場合、4つ5つ重なってきた場合は、白だった虐待リスクが薄いグレーに変わっていきます。薄いグレーが情報を集めるごとに徐々に濃いグレーに変わっていく。「虐待に陥るかもしれないリスク」はこのようにして発見していきます。

 例えるなら、ヒヤリハットを積み重ねることが、危険予測に繋がるのと同様です。日々の保育の中でエピソードを積み重ねることが虐待リスクを予測することに繋がります。したがって、子どもの個別支援計画には必ず家庭の状況やエピソードを積み重ねていくことが児童虐待予防の第一歩となります。

 

9 近年の児童相談における児童相談課題

 国は、都道府県と政令市においては設置されている児童相談所について、東京都特別区においても設置できる法改正をし、特別区中核市において児童相談所を設置するよう促しました。これを受けて令和3年4月現在4つの区で児童相談所が設置され、ほか18の区で設置に向けて検討されています。先ほども触れましたが、私は児童相談所の「保護」と市区町村の「支援」が両輪となった児童虐待対応体制となることには大いに賛成です。

 しかしただ1つ、練馬区については早い段階で児童相談所を設置しない方針を表明しています。理由としては、一時保護所を同じ区内に設けることでは児童の安全を確保できないことや、現状の児童相談所と連携を密にすることで十分な児童虐待対応が可能であることを挙げています。児童相談所設置に前向きな区の中でも、予算や人員などの面から設置予定を先延ばしする区が出てきており、市区町村が児童相談所機能を持つまでには険しい道のりのようです。

 また児童相談所の最大の機能である一時保護について、妥当性を欠く職権保護がなされた事例が問題となり、職権保護に法的手続きを導入する動きが出ています。事実誤認を防ぐ目的がありますが、一方で子どもの生命を守るための即時性が失われないかという懸念があります。

 子どもの人権を尊重する意味で、一時保護や施設入所に際しては、子ども自身の意思を聞き取る「アドボカシー」の必要性も課題となっています。長年にわたる虐待により愛着関係が歪んでしまっている子どもに正しい判断を迫るのは非常に難しい技術であり、誰がどのようにアドボカシーを尊重するのかは課題であると言えます。

 職権保護に法的手続きを導入することも、アドボカシーを重視する傾向も、私は基本的には賛成です。ただ、それにより懸念されるリスクもあることは否めません。子どもの生命は一つとして失われてよいものではありません。失敗は許されないのです。だからこそ議論を重ね、十分な体制の整備が望まれます。

 ひとりごと史上最長文となりましたが、これにて閉幕。

長男、不登校になる⑥~不登校から半年、長男の葛藤

入学から2か月間を不登校で過ごしたころ、学校から三者面談の話がありました。しかし、それはあくまで定例的なものでした。学校が何とかしてくれると信じていた私には何とも呑気な申し出だと思ったのですが、我が家の状況を認識してもらうには良い機会でした。

前日まで三者面談があるとはなしていたのですが、長男はやはり一緒に行ってはくれませんでした。ただそれは逆に好都合でした。二者面談になってしまった面談で、私は先生に現状を訴えました。当時はコロナのためマスクをして表情は読み取りづらかったと思いますが、私は必要以上に悲壮な表情を作ったつもりです。幸いにも若い担任の先生は私の必死さを汲み取ってくれ、より上位の学年主任の先生に取り次いでくれました。そして学年主任の先生との話の中で、私自身が甘かったことを思い知ったのでした。

 

学年主任の先生の話としては以下のとおりでした。

学校としては長男のためにやれることはする。必要があれば家庭訪問もする。しかし家庭訪問は最後の手段。今は親が声掛けをして学校に足を向けるようにする時期。長男はもう充分に休息を取ったので、学校に行かないのは親への甘え。きちんと向き合って、そろそろ厳しめに話をするべきとのことでした。

先生はきつい言い方はしませんでしたが、私は芯を突かれたと感じたのと同時に、長男に向き合わなければならない現実を突きつけられ、暗い心持ちで家路につきました。不登校の長男と向き合って話すのには、強い気持ちが必要です。長男が怒ったりパニックになったりしないか、不安や怖れの気持ちを心から排除して向き合わなければなりません。

 

そしてその日の夜、さっそく長男と向き合って話しました。

まず、学校が始まっているが、なぜ登校せず、課題も出さないのかと問いました。転校をした際には高校くらいは卒業したいと言っていたはずなのに、課題も出さないのでは卒業はできません。どうするつもりなのかと問いました。

長男の答えは「知らない」とだけでした。

続いて卒業後の話もしました。もしこのままだったら卒業はできない。それだけでなく、学校にも行けないのなら仕事やアルバイトだってできるはずがない。そうしたら生きていくことが出来ない。私たち親が亡くなった後、どうやって生きていくというのか。

長男はその質問にも答えることが出来ませんでした。何も答えることができない長男に、理由がないのなら明日学校に行くように伝えました。もちろん長男はまだ17歳で、なろうと思えば何物にもなれる。しかし何も目指すべきものがないのなら、今は学校に行くほかにないのだから。

長男は明日は無理と応えたため、ならば明後日行きなさいと伝えました。そこに有無は言わせませんでした。これまでどうするか尋ねるやり取りをしていましたが、この日は一方的に「行きなさい」と強めに言い切りました。

 

長男にとっては聞きたくない話したくない都合の悪い話題だったようです。ケータイをいじりながら話を聞いていたのですが、苦しそうに身もだえるように、イライラしながら話を聞いていました。そんな長男の応えは翌日顕れました。

 

翌日は私たち夫婦ともに帰りが遅く、いつもはどちらかが18時頃に帰宅して夕飯の支度をするのですが、19時半ごろに帰宅しました。私がリビングに入ると、小学生の次男が一人で泣いていました。次男は怖がりで、トイレにも一人で行くことが出来ない子ですから、すぐに異常事態だと感じました。訳を聞くと、次男がいつも使っているゲーム機(nintendoスウィッチ)を長男がお風呂に沈めて壊し、長男はその後どこか外へ行ってしまったとのことでした。スウィッチはリビングにタオルに巻かれた状態で置いてありました。次男がお風呂から拾い上げて拭いたけど電源はもう着かなかったようです。

次男が長男を怒らせるようなことをしたのかと尋ねると、何もしていない、長男は笑いながら次男からスウィッチを取り上げて地面に投げつけ、なかなか壊れないからと最期はお風呂に沈めたのだそうでした。こうして文字で書くと狂気の沙汰ですね。しかし長男はそれほどやり場のない気持ちを抱えていたのでしょう。とりあえず私は次男を慰めました。長男が次男に暴力を振るうようなことはないと踏んでいましたが、このような暴挙に出るとは思っていませんでした。自分の見通しの甘さを悔いながら次男を慰めるとともに、長男が帰ってきたらどう声をかけようか考えていました。

 

長男が帰ってきたのは21時過ぎでした。長男によると、その日は雨だったにもかかわらず、傘もささずに近所の公園で時間を潰していたそうです。

長男にはどんなにイライラしたり怒ったりしても次男を傷つけるようなことだけはしないでほしいということは伝えないといけませんでした。でも𠮟りつけるような言い方は逆効果です。長男にだって理由があるし、わかってもらいたい気持ちがあるはずだから。そこでまずは「共感」を示しました。ただ、長男は幼児ではなく、思春期真っ盛りの子どもです。隣に座ってお話を聞くスタイルではウザがられるだけ。なので別のことをするフリをしながら長男に話しかけることにしました。「随分とイライラしていたんだね。こんなことをするなんて、よっぽどイライラしていたんだね。」この言葉がけの仕方が正しかったかどうかはわかりませんが、なるべく自然に話しかけるように心掛けたつもりです。叱られるのではないかと身構えていた長男にとって意外だと感じてもらえれば成功だったはずです。長男は特段変わった反応を見せなかったので、間違いではなかったのではないかと思っています。そんな声掛けをして十分に長男との間合いを詰めた後で、ソファに腰かけていた長男の横に座り、顔を見て「長女や次男を傷つけるようなことはしないでほしい」と約束をしました。さらにイライラして何かに八つ当たりをしたとしても、長男の状況は何一つとして変わらないことも伝えました。問題を起こすことで私の親としての気持ちが揺らぐことはないとのメッセージを明確にしたかったのです。長男はまたもイライラした様子で、夕食も食べずにリビングを離れ、2階に上がってしまいました。

その日は平日だったので、長男のことは取り敢えず置いておいて、小学生の次男と風呂に入れて寝かせることにしました。寝る支度のため2階に上がると、居るはずの長男の姿がありませんでした。トイレでも行ったかと思いましたが、何となく寝室の窓が開いているのが気になりました。6月なので窓が開いていてもおかしくはないのですが、勘が働いたとしか言いようがありません。何となく網戸を開けて外に顔を出すと、長男が1階の屋根の上、窓から見た死角の位置に隠れて立っていました。

「何してんの?」

本当にそれしか言葉が見つかりませんでした。何故隠れるのかが、とっさには理解できなかったのです。取り敢えず中に入れると、長男も恥ずかしかったのか、そのまま家を出て行ってしまいました。時刻はすでに23時を過ぎていました。前にも書きましたが、長男は都合が悪くなると家を出て行く癖があります。でも、先ほどのように数時間もすれば必ず帰ってきます。風呂上りでもあった私は放っておこうと思ったのですが、母親はそうは考えられませんでした。心配で仕方なく、長男の後を追いました。結果的に、私はこれが良かったのではないかと思います。妻によると、長男は家のすぐ外で物陰に隠れていたそうです。(長男にとって夜道を独りで歩くというのは怖いことだったのかもしれません。)母親に見つかった長男は、逃げるようにあてもなく歩き始めたそうですが、妻は自転車に乗って追いかけました。時々妻が話しかけても、長男は無視をするか、ウザいと言って蹴ってきたそうです。そんなやり取りをしながら、長男は色々と思考していたのでしょう。母親にぞんざいな態度を取りながらも、心配をかけている、一人じゃないという気持ちも伝わっていたのではないかと思います。

小一時間が経った頃、二人は帰ってきました。時刻は24時近かったと思います。私は次男と一緒に寝ているフリをして、敢えて長男とは顔を合わせませんでした。

 

その翌日、長男は新しい学校に初登校しました。

長男、不登校になる⑤~高校3年新入生

長男は、高校2年の3月で前の全日制普通科高校を辞め、高校3年の4月にサポート校併設の通信制高校編入しました。

 

しかし長男はまだ学校に行くことができませんでした。

4月2日に学力を把握するためのテストがあったのですが、一人で行くことが出来ませんでした。そこで、4月6日にあったガイダンスには私が一緒に学校まで行ってあげようと伝えましたが、長男はさすがに恥ずかしかったのか、一人で行くことにしました。

一度一人で行けたのだから、もう大丈夫だろうと思ったのですが、長男は次の週も、その次の週も、一日も行くことはできませんでした。

 

私は学校に対して過度の期待をしていました。何も心配はいらない、入学したらお任せくださいと大見得を切ったのだから、何かしてくれるのだろうと思っていました。それにこの学校に通えるのは1年間しかありません。私には焦りもありました。結果的に、それが学校に任せるという、他人任せの行動になってしまっていたと思います。

 また、この時期私は不登校や思春期の子どもに関する本を読みふけりました。学校の先生の「心配いらない」という言葉は私を謙虚にし、私をただの当事者として勉強するキッカケをくれました。

何冊も読んだ本に共通して書かれていた不登校の子どもへの対応のポイントは、だいたい以下の3点でした。

・子どもの心には休息が必要であり、学校を休むことも大切な休息。受け止めきれない現実に潰される前に、避けるという選択ができたことを認めてあげるべき。

・学校という居場所を失った子どもにとって、家庭が安心できる居場所となるために、親子関係が良い状態であることが大切。

・家庭だけで抱え込まず、ときには第三者に支援を求めることも必要。

 

私はこれらの言葉に勇気づけられ、新学期が始まって1か月ほど、学校に行かない長男にいちいち口うるさく言わないようにし、長男をよく観察し、会話をするようにしました。しかし長男は学校に行きませんでした。

本で読んだ上記のポイントは、確かに間違いはないと思います。毎日のように口を酸っぱくして長男に声をかけても、親子関係が冷え込むばかりで、長男は余計に頑なになるでしょうし、親も疲弊します。一人で悩むより第三者からアドバイスをもらった方が遥かに良いでしょう。しかし、これらのポイントには大事なことが抜け落ちています。

私の例のように、上記のポイントを実践しただけで、子どもが一人で勝手に学校に行くようにはなりません。家庭が安心できる居場所となってあげるのは大切なことですが、子どもはどうしてもその居心地に甘えてしまいます。十分に休息をとることが出来た子どもには登校するためのキッカケを与えてあげる必要があります。そのキッカケを与えてあげられるのは、親(家族)しかいないのです。

 

不登校の子と学校の話をするのは、親にとって苦しいものです。これは私が当事者だからこそわかる感情です。学校の話をすると、子どもはイライラしたり適当にごまかそうとしたりします。子どもによっては暴力やモノに当たったりすることもあります。我が家には下の子がいます。長男は下の子たちに暴力こそ振るうことはありませんでしたが、嫌がらせのようなことは何度もしました。だから「子どもを休ませてあげることも大切」などと言われると、子どもと向き合う辛さから逃れようと、ついそれに従いたくなってしまいます。そうすると、子どもにキッカケを与えるチャンスを失い、子どもはいつまで経っても学校に行くようにはならないのです。

 

1週間経っても2週間経っても学校へ行かない長男を見て、その間私は何度も学校に電話をしました。学校の先生からいただいたアドバイスは、口うるさくしても逆効果なので、親子関係が良好でいられるようにしてくださいとのことだけでした。しかしそれを実践しても何も進展が見られず、月日だけが流れていました。

 

そして2か月が経った頃、学校の先生から個人面談の提案がありました。その個人面談で先生とお話をした結果、自分の甘さに気がついたのでした。

長男、不登校になる④~転校手続き

出席日数が足りないために留年が確定的になってから、通信制の高校の見学をはじめ、家からは少し離れているもののサポート校の通信制高校に転校することを決めた長男。通っていた高校にも転校する意思を伝えました。

 

長男の場合、学校を一度辞めて入りなおすのではなく、2年生が終わって3年生は別の高校へ通うという「転校」の扱いになります。一度辞めてしまうと「退学」という扱いになり、2年生までに取った単位はすべてなくなって、イチから取り直さなければなりません。しかし「転校」なら2年生までに取った単位をそのまま次の高校へ引き継げます。もちろんそのための手続きを学校間でしなければなりません。手続きと言っても、前の学校に1通郵送するだけで、あとは学校間でやってくれます。むしろ新しい学校への入学手続きの方がたくさん書類が必要なので面倒です。

 

手続きとは別に、長男と最後に前の学校に行く必要がありました。

私は長男には転校をマイナスに感じて欲しくありませんでした。学校に行けなくなった自分を必要以上に責めず、むしろリスタートに向けて前向きの感情をもってもらいたかったのです。負の感情のまま新学期を迎えても、やはり学校に行くことはできないと思ったからです。そこで、通っていた学校に最後の挨拶をしに行くことにしました。

名目は学校に置きっぱなしになっていた教科書や上履きを取りに行くということで、3月の中旬に私と長男は学校へ行きました。荷物が結構多いらしいので、車で行くことにしました。長男は少し嫌がりましたが、「学校にある私物は長男にしかわからない」と言うと、素直に従ってくれました。

 

途中でお昼を食べ、車を学校近くのパーキングに停めました。これまで何度か学校に足を運びましたが、いつも曇り空だったような気がしますが、この日はよく晴れていました。学校に行かなくなってからは毎日が心配の日々で、私はずっと胸の奥がもやもやしていました。しかしこの頃は目の前の視界が開けた気がして、気持ちも少し楽になっていました。

先生はなるべく生徒のいない時間をと配慮をしてくれたのですが、車を停めるのに時間がかかったため、下校の時間で校舎内はたくさんの生徒で賑わっていました。そのため、長男も私とは別に、先に行きたいと言ってきました。確かに、制服を着た生徒たちの中に私服のオジサンはかなり目立ちます。長男と一緒にいれば父親であることは明白です。恥ずかしくないはずがない。ですが実のところ、「この期に及んで逃げるのでは」と、私は心の片隅で思ったことを懺悔します。長男はそんな私の心配をよそに、一人で堂々と学校に入っていきました。

 

長男は私物をすべてカバンに入れ、担任の先生と最期の挨拶をしました。この年はコロナの影響で例年以上に不登校になる生徒が多かったそうです。割と感情が表情や言葉に出にくい先生ではありましたが、これからの長男に対する励ましの言葉の裏には、卒業まで見送ることが出来なかった悔しさがにじんでいたように聞こえました。

 

ともあれ、学校への最後の挨拶を終えた長男は、晴れ晴れとしているように見えました。この年は暖冬だったせいか、3月中旬でしたが桜の花がチラホラと咲き始めていました。そこで、私と長男は帰りにそのまま花見をすることにしました。それもいつもの公園ではなく、あまり行くことのない場所で。

こういうとき、私は「持ってない人間」です。あまり行ったことのない公園をチョイスしたため、渋滞にはまってしまいました。そのうえ、着いた公園には桜はまったく咲いていませんでした。桜の名所と取り上げられていたのですが、まだまだ時期が早かったようです。

 

暖かい午後に長男と二人で桜を見上げられれば、新しい高校生活も少しは違っていたのかもしれません。私と長男の不登校との戦いは、まだまだ続くのでした。

長女も不登校になる②~コトのはじまり

その日は突然やってきました。長女が朝ベッドから起きてこず、学校に行きたくないと訴えたのです。

普段、明るくテンションの高い長女が泣いて訴えたので、理由は深く追求せず、その日は行かなくてよいと伝え、「明日は行こう」とだけ約束しました。ところが、約束したはずの次の日も、「行きたくない」と言って泣き出してしまったのです。

 

恐れていた日が来たことを感じた私は、仕事に遅れることを覚悟して長女と話しました。不登校の兄がいるために「行かない」という選択肢を持ってしまっていると言え、友達関係や先生との関係でどうしても行きたくない理由があるのなら仕方ないので、まずはそこを聞き取りました。幸いにも長女は長男と違い、きちんと言葉にできる子です。行きたくない理由をいくつか挙げてくれました。

それは「宿題をやっていない」とか「委員会の提出物が遅れた」とか、大人の私にとっては大した理由ではありませんでした。やはり、理由はきっかけに過ぎず、もとにあるのは「行かない」を安易に選びたくなる心にあると考えました。

 

そこで、長女にはきちんと言葉で伝えることにしました。

長男がいるために長女が学校に行くことにハードルができてしまっていること。そのため安易に学校に行かないことを選んでしまうと、これからも事あるごとに学校に行かなくなってしまうこと。そのうち学校に行きたくても行けなくなってしまうこと。行けなくなったら長男のように、学校に行くことがとても大変になってしまうこと。そして、自分で考えさせました。考えた末、自分から「学校に行く」という結論に至ることができれば、もう安易に学校に行かないという選択はしないはずです。

 

①でも書いたように、長女は「行かない」を選びたいのだけど、行かないとどうなるかをきちんと理解していました。だからその狭間で苦しんでいるようでした。もしこの日行くことができなかったら、私は心が整理できるまでしばらく休む必要があるかもしれないと覚悟していました。

 

よく話し合った結果、長女は私が学校まで付き添うことを条件に、学校に行くと言ってくれました。そこで、その日は特別に、雨も降っていたし時間もギリギリなので、車で学校まで送ることにしました。学校までのわずかな間ではありますが、車という二人きりの空間でリラックスして話し合いたいという考えもありました。

ところが、学校の近くまで行くと、長女は親に車で送ってもらうなんて恥ずかしいと言い出しました。まあ、考えれば年頃の娘なら当然です。とはいえ、登校する生徒がいない時間に送るとなると遅刻です。真面目な長女は遅刻して教室に入るのにも抵抗があるようでした。そのため、学校の前まで私が車で送り、担任の先生に迎えに来てもらって保健室に行き、気持ちが落ち着いたら教室に行くのではどうかと提案しました。長女はとりあえず納得しました。

さて、これには担任の先生の協力が必要です。さっそく担任の先生に連絡を取りました。幸いにも担任の先生は話のわかる先生でした。もっとも、不登校は学校にとって大きな問題です。「学校に行きたくないと言っていて・・・」と伝えるだけで、真剣に捉えてくれました。しかし先生も授業を持っているため、2時間目なら時間が取れるとのことでした。そこで、2時間目の開始時間に合わせて長女を送ることにしました。

 

担任の先生に連絡をしてから2時間目の始めまでは1時間弱ほど時間がありました。家に帰ってもよかったのですが、家でのんびりしているうちにまた「行きたくない」となってもいけないので、そのままドライブをすることにしました。ドライブしている間、嫌なことがあったときには音楽を聴くと気持ちが上がるよとか話しましたが、まあ年の差でしょうか、私の好きな音楽は長女に響いたかどうかはわかりませんでした。

 

約束の時間に学校へ行くと、担任の先生が校門の前で待っていてくれました。先生に長女を引き渡すわずかな時間で、我が家には不登校の長男がいるため、長女も安易に「行かない」を選択しがちであることを伝えました。心配ではありましたが、先生は何となく理解しているようでもあったので、長女を託しました。

 

こうして、何とか長女を学校へ送り届けることができました。ちなみに私はこの日、2時間有休を取って仕事に行きました。

 

③へ続く。

長男、不登校になる④~高校3年生はどこへ行く

長男が「高校は卒業したい」と意思表示をした次の日、長男に気が変わらないうちにと通信制の高校を見学することにしました。

すでに近所の通信制の高校をピックアップして伝えていたので、朝イチでその日の午後に見学に行きたいと、2つの学校へ連絡をしました。学校側はこの時期よくあることなのか、2校とも当日のアポイントでも快く受けてくれました。長男はこの期に及んでもほとんど昼夜逆転のような生活をしていたので、連れていくことはできないかもしれないとも伝えましたが、どちらも父親だけでも構わないと言ってくれました。

 

午後休を取って家に帰ると、長男は起きたばかりと言う感じで、パジャマのままケータイをいじっていました。正直、前の日に話をしたとはいえ、長男が素直に高校の見学に行くかどうかは半々だと思っていました。ですが前の日に見学に行くことを約束しているので、当たり前という感じで「見学に行くから着替えな」と伝えると、意外にも素直に動いてくれました。

 

見学に選んだ学校は2つで、それぞれ特徴の異なる学校を選びました。

1つは自転車でも行ける距離にあって、職場の同僚の息子さんも通ったことのある学校でした。私と長男は先にこちらの学校へ見学に行きました。対応してくれたのは、おそらく学校のユニフォームなのであろう紺のブレザーを着た、色の黒い体育会系の若い男性2名でした。はじめての見学なのでそんなものなのだろうと思ってはいましたが、この体育会系男子にひ弱な不登校の気持ちがわかるのだろうかとの疑問が湧いたのは確かです。また、説明はすべて保護者である私に対してしておりました。入学を決めるのはあくまで長男です。できれば長男に現状を聞き、学校の説明をしてもらいたかったところです。さらに、説明の最後には学費についての説明までしました。自分が転校することになったせいでこんなにお金がかかっていると知る長男。私としては長男には自信を取り戻してほしかったので、お金の話はしてほしくなかったところです。

単位は課題を提出するだけなので、課題の中身も見せてくれましたが、中学校の中間テスト程度の簡単なものでした。総合的な感想としては、「卒業」だけはできるかもしれないなとは思いました。ただ、学校側のサポートには期待できないと感じました。

長男は高校の課題が出せずに留年になったわけで、たとえ課題が中学生レベルだったとしてもクリアできるとは限りません。また、卒業できたとしても、その後どうなるのか。進学や就職ができるのか。私は長男は「今のまま」では進学や就職をしても長続きはしないと思っていました。だから通信制の1年間でどこまで成長できるか、進学や就職をどれだけ支えてくれるのかが学校に求めるポイントだと思っていました。そう考えると、この学校では将来が見えないと感じました。

 

2つ目の学校は、少し都心まで出なければならないのですが、サポート校併設型の通信校を見学しました。サポート校とは、不登校など様々な理由で学校に行くことが出来ずに通信制を利用することになった生徒をサポートするための学校です。通信制高校に通う生徒をサポートするための学校ですから、この学校に入るには通信校とサポート校の両方に入ることになるわけです。ちょっと複雑ですが、私的には全日制のチャレンジ校などと同じようなものなのかな程度に考えていました。

対応してくれたのは、学校の校長先生でした。行ってみてわかったのですが、私と長男が行った場所は通信校の校舎ではなく、サポート校の校舎でした。だから校長先生と言ってもサポート校の校長先生なので、いわゆる高校の校長先生という感じではなく、ちょっと感じのいいおじさんという風情でした。

その校長先生の第一声は「なんにも心配することはない」でした。しかも、私にではなく、長男に向かって声をかけてくれました。それから先生は長男にどうして不登校になってしまったかを尋ねました。長男はなかなか答えられませんでしたが、先生は長男が口を開くまで、じっと待ってくれたのでした。

 

正直に言います。私は不覚にも泣きそうになりました。

私は子育て親子を支援するのが仕事ですし、不登校の子を支援をしたこともあります。一応プロとしての知識と技術を駆使しつつ、当事者として長男と向き合ってきたつもりでした。しかし「心配することはない」と言われた瞬間、心がフッと軽くなった気がしたのです。隠していた不安に気づくとともに、それを少しだけ誰かと分けあった気がして、軽くなったような気がしました。私はこの学校になら長男を任せられると思いました。

しかし先ほども書いたように、学校を決めるのは長男です。どんな反応をするかと思いましたが、幸いにも長男の感想は私と同じものでした。

 

こうして、長男は高校3年生の行き先が決めたのでした。