ひろしせんせーのひとりごと。

44歳の脱サラ保育士ひろしせんせーが書いています。

自分の未来を創造する子どもたちに贈る言葉

長男が不登校となり、高校の留年がほぼ確定したころ、長男と将来についてしっかりと話し合わなければなりませんでした。そこで、私は長男に以下のようなことを話しました。自信を失い、将来に希望を失っている長男に、「君には何だって出来るんだ」ということを覚えておいてもらいたくて話したことです。このことはもしかしたら、長女や次男にも(不登校にはならなかったとしても)同じことを言う日が来るのではないかと思い、ここに記しておきます。

 

私は、人生は何もない荒野を進んでいく過程だと考えます。

 

人が生き、歩んでいく目の前には「道」などはないと考えます。目の前には荒野が広がっており、歩んできた後ろにこそ道ができている。大人になり、人生を進んでいくにつれ、荒野の先に朧げに何かが見えてきて、そちらに向かって歩んでいく。時には朧げな何かが間違いだと気づき、進む方向を変えたり、来た道を少し戻ってみたり、そうやって少しずつ前へ進んでいく、それが「人生」というものなのではないでしょうか。

 

ただ、何もない荒野を進んでいくには不安だし、下手をすると迷子になってしまいます。だから荒野を進んでいくためには「地図」が必要です。「地図」とは「知識」だと思います。人生を歩んでいくための「知識」、それが人生という荒野を進んでいくための「地図」になります。子どもたちが学校で学ぶのは、人生を進んでいくための地図を持つための作業です。学校で先生に教えてもらうことだけが知識ではなく、部活や、運動会や文化祭といったイベントを成功させていく過程も、友達を作り、遊び、話し合うことも、人生を切り拓く地図になるでしょう。また一人で本を読んだり、マンガや映画やゲームをして影響を受けることも地図を作るキッカケとなるでしょう。つまり子どもたちの生きるすべての時間が地図を作る作業になると私は考えます。

 

長男が不登校となったのは高校2年、17歳の冬でした。日本人の平均寿命がこのまま伸びていき、長男は85歳まで生きるとしたら、17歳はまだ人生全体の2割でしかありません。1日24時間で換算すると2割は午前4時48分になります。私だったらまだぐっすり寝ている時間です。冬なら外はまだ真っ暗です。自信を失っている17歳の長男ですが、1日はまだ始まってもいないんです。私が起きるのは午前6時半です。年齢にすると23歳。会社で仕事が始まるのが午前8時半だとするなら、年齢なら30歳ということになります。つまり、一生をかけて為すべき仕事を見つけるのは、30歳くらいで丁度いいのではないでしょうか。

 

前にも書いたように、人生は間違えたと思ったら方向転換をしてもいいし、少し道を戻ってもいいんです。事実私は18年間働いた公務員を辞め、42歳で保育士となりました。それが正しい選択だったのどうかは私が死ぬ間際にならなければわからないでしょうが、少なくとも44歳となった現在は正しい選択だったと考えています。一度しかない人生だから、本当にやりたいことを見つけ、悔いのない選択をしてもらいたいと思います。

長女も不登校になる①~長女という2番目の子

長男が不登校になって半年が経ったころ、長女も学校に行きたくないと言い始めました。

長男が不登校になってから恐れていたことが起きました。ついに来たかという感じです。

 

長女は長男の3歳年下で、学校に行きたくないと言い始めたときは中学3年生でした。長女の性格は一言で言い表すのは難しいです。家では底抜けに明るく異常なくらいにハイテンションですが、外ではピタリと大人しくなります。学校の成績もそこそこで、委員会活動や部活動も手を抜かない、先生からすれば優等生タイプでしょう。

さいころから割と個性派ぞろいの保育園や学校のクラスで過ごしましたが、あまり周りに流されないタイプで、男の子でも女の子でも関係なく遊ぶ子でした。しかし小学校高学年頃からでしょうか、やはり男の子とは遊ばなくなり、いつの頃からか「周りが求める自分」であろうと頑張るようになったように思います。

そんな風に分析できたのは、長女が学校に行きたくないと言い出してからです。

 

周りが求める自分であろうとすること自体はおかしなことではないと思います。誰しも生きていれば何かしらの役割を与えられ、その役割をこなそうと四苦八苦しているうちに、その役割が身についてくるものです。先輩や上司に向いてないと思っていた人も、いつしか先輩や上司っぽくなっていくものです。だから長女が周りに合わせて自分を変えることは、成長の一過程と言えると思います。しかし長女が他の人と違うのは、身近に長男と言う不登校の例がいたことです。

 

長男は当時毎日家にいてパジャマのままケータイをいじる毎日でした。不健康そのもので、長女もさすがに「こうはなりたくない」と思っていました。しかし長女自身の気づかないところで、「学校に行かない」という選択肢ができてしまっていたのです。

普通、学校には「行く」の一択しかありません。小学校1年生の頃から周りのみんなが行っていて、親が普通に送り出していれば、いくら思春期や反抗期でも、ほとんど盲目的に「行く」わけで、風邪でもひかない限りは「行かない」という選択肢はないのです。しかし身近な兄弟に行かない例が存在する長女には、「行く」と「行かない」という二択になってしまったのです。

二択になってしまうと、嫌なことがあったときに「行く」と「行かない」を天秤にかけることになります。中学生とはいえ将来を見通す力が弱い子どもは当然「行かない」を選びたくなります。

 

先ほども書いたように、長女は長男を見て「こうはなりたくない」という思いもありました。だから「行かない」を選びたい自分と、長男のように苦しみたくないと思う自分と、激しい葛藤がありました。泣きながら「行きたくないよ」と訴えました。そんな長女の姿を見て、無理に学校に行かせようとは言えませんでした。「明日は学校に行こう」と約束をして、その日は一日休ませました。

 

しかし次の日も、学校に行きたくないといって泣き出したのです。

パパの子育てのススメ

私は末っ子が4か月のころから1年間育児休暇を取得しました。

当時勤めていた会社では男性で1年間育児休暇を取るのは私が初めてで、私自身も係長と言うポストに就いていました。しかし、一応制度も整っていたし、年度切り替えの時期に休暇に入ったので比較的取得しやすかったと思います。当時の会社には通算18年間働いていましたが、育児休暇を取っていた1年間は間違いなく18年で最良の一年でした。だからこそ是非世の中のパパにも育児休暇を取得してもらいたいと思いますし、男性がもっと子育ての役割を担って、大げさではありますが、「子育て=ママ」ではない男女平等の子育て社会が実現されればいいと思います。

 

ワークライフバランス」や「イクメン」という言葉が使われ始めて随分経ちますが、私はまだまだ男性は「子育てに参加」しているという程度ではないかという気がしています。「参加する」ということは、メインはあくまで女性であり、そこに男性が加わることを意味します。

運動会などのイベントだけでなく、授業参観や習い事などの休日イベントにはたくさんのパパが集まります。休みの日に公園やショッピングに行くとパパの姿がたくさん見られます。しかし平日はどうでしょうか。私はいま保育園で仕事をしていますが、お迎えに来るのは8割がママです。子どもが熱を出したときに迎えの連絡をするのも、ほとんどがママだし、実際迎え来るのもほとんどママです。(コロナによって在宅リモート勤務という働き方が増えてきたため、最近では緊急時のパパの迎えも時々見られますが、まだまだママが中心とみていいでしょう。)

日本人の育児にかける時間は男性と女性では大きく違うというデータがありますが、保育園で働く私としては肌感覚でも感じるところです。イクメンだ何だと言っても、少し男性の意識が変わりつつあるという程度なのが現状なのでしょう。

 

女性の生涯就業率のM字カーブを示されて「女性の社会進出は・・・」、という話を耳にしたことがあると思います。日本では経済成長のために働き手として女性の社会参加を促進しています。しかしパパが子育てに「参加」している程度だと、ママが仕事を始めても、ママは子育てに家事に仕事にと一人で何役もこなさなければならなくなります。子どもにかける時間も減り、ママも疲労で家庭は冷えていきます。経済的には豊かになっても心はちっとも豊かになりません。つまり女性の社会進出のためには男性の「子育て進出」が必須なのです。

 

パパが子育ての主役に躍り出るにはどうすればよいでしょうか。

ひとえに世の中の意識だとか働き方を変えることが必要だとは思いますが、それ以前に身の回りでできることを考えたいと思います。子育てをするパパが実践すべきことを考えました。

 

1 家の仕事を分担しない

「子育て」というと、子どもに関わることばかりを考えてしまいますが、子どもと食事をするのも子育てです。子どもの服を洗濯するのも、子どもがいる環境を整え、掃除するのも子育てです。そうなると24時間すべてが子育てと言えなくもないですが、少なくとも掃除や洗濯、食事と言った家事のすべては子育てに含まれると考えていいでしょう。

そして子育ては想定外の連続です。特に赤ちゃんは毎日同じ時間にお腹がすいて同じ時間に寝るわけではありません。思っていた通りには進まないと考えておいた方がいいでしょう。そんな中で「食事を作るのはママ」「お風呂に入れるのはパパ」と決めてしまうと、できないときや遅くなったときに揉めたりイライラしたりする原因となります。

私は、家事は「苦手」はあるけど「できない」はないと思っています。料理が苦手な人はいても、ケータイで調べればレシピがいくらでも出てくる時代で、まったくできない人はいないと思います。電球を変えるのも庭木の手入れをするのも、背が低くてやりにくいことはあっても、脚立に乗ればできますからできないわけではありません。

もちろん、身体的なハンディがあって難しい場合もあるでしょうが、基本的には家事はパパやママにしかできない専門的な仕事などはほとんどなく、パパとママがお互いを補いあうことができる仕事と考えていいと思います。早く帰ってきたからとか、時間があるからとかいう意識で家事をすれば、自ずと分業ができ、夫婦が円満でいられるはずです。

 

2 職場には子どもがいるアピール

子どもが生まれたら、まず机に子どもの写真を飾りましょう。パソコンの壁紙もスマホの待ち受けも子どもの写真に変えましょう。周りの人は小さな子がいることを認識します。そうすると、子どもが熱を出したから休んだり、子どものために残業を切り上げたりすることに対して、周囲の理解が得られやすくなります。自分から言い出しにくくても、周りの人が気を使ってくれることもあるでしょうし、子どもの写真を見て「早く帰らないと!」という自分への気づきにもなるでしょう。

最近は子どもが欲しくてもできない人に対するハラスメントになるのではないかと言われます。もちろん職場によっては気を遣わなければならないこともあるでしょうが、私は「子育てをする人にやさしい社会」になって欲しいと思っています。だから最終的には机に子どもの写真なんか置かなくても周りが気を遣えるようになればいいと思いますが、残念ながら私の感じる今の多くの職場環境では、視覚的なアピールをしなければならないと思っています。

 

3 余裕を持つ

1でも書きましたが、子育ては想定外の連続です。上手くいかないことの方が多いと言えます。そんなとき、パパとママの二人で慌てていては上手くいくものも上手くいかなくなります。(二人で悪戦苦闘する姿は子どもが大きくなったら笑い話にはなるでしょうが。)どちらかは余裕をもって冷静にいるべきでしょう。そしてそれはパパの役割だと思います。

ママは出産という大仕事を終えて、子どもを産む体からもとの体へと戻っていきます。しかしうまく戻らずに体調を崩す場合があります。母乳育児によっておっぱいが張ってきたり、ホルモンのバランスが崩れることもあります。産後しばらくは、ママは自分の体を労わることで精一杯になります。

一方パパの方はどうでしょうか。出産したわけではないのでパパになったという感覚がママよりも薄いと言われます。いち早く「ママ」になったママを見て焦ったり疎外感を感じたりする人もいます。しかし私は、だからこそ余裕が持てると考えます。「パパになった実感が湧かない」と思うことは、自分を俯瞰して見えているということです。冷静な考えができている証拠でしょう。冷静ついでに、心に余裕を持ってみたらどうでしょうか。

ただ、精一杯になっているママはそんなパパをみて「もっと真剣に考えてよ!」とか言ってくるかもしれません。というか、言ってくるでしょう。心に余裕を持ちつつ、真剣にママに寄り添うという高等技術が、パパには求められます。

 

4 パパとママが仲良くする

子どもが生まれると家庭の中心は子どもに移ります。子どもは自己中心的でわがままな生き物ですから、家庭の時間は子どもに合わせるようになります。これまでお互いに向き合っていた夫婦の視線は子どもを通すことになります。

微妙に変化した夫婦の関係性を「維持」または「さらに向上」させていくためには、これまで意識しなかった「仲良く」ということを意識的に行った方が良いと思います。もちろん意識しなくても仲良くできる夫婦はたくさんいるでしょう。ですが子どもができることによって夫婦の関係性は必ず変化しますから、敢えて意識をすることは大切だと思います。

意識的に仲良くすると言っても、難しいことをする必要はないでしょう。子どもが寝てから二人の時間を作ってみたり、子どもの写真を撮るついでにママの写真も撮ってみたり。ちょっとママを意識するだけで、夫婦の仲はずっと変わってきます。

 

最後に、パパが子育ての主役にと書きましたが、パパが頑張りすぎるあまり、ママとどっちが頑張っているかでライバル関係になるのは避けるべきです。頑張っていると、つい「俺の方が好かれている!」とか言いたくなりますが、パパとママがライバル関係になっても良いことは何一つありません。大きくなった時に子どもがママを下に見たり、言うことを聞かなくなったり、逆にパパを敵対視するようになります。思春期になると必ず親離れがやってきます。夫婦二人で乗り越えなければならない時期に協力体制を敷くのが難しくなります。

お互いを認め合いながら夫婦で楽しい子育てを目指しましょう。

保育園における地域の子育て支援

保育園は入園した子どもを保育するだけのものではありません。保育園を利用せずに家庭で子育てをしている親子への子育て支援(ここでは「地域子育て支援」と言います。)も大切な仕事です。

 

地域には児童館や子育て支援センターなど、子育て中の親子向けの施設があります。なぜ保育園でも同じようなことをしなければならないのでしょうか。

 

ここ数年、児童虐待による残念なニュースは後を絶ちません。児童相談所児童虐待対応件数も2020年度は20万件近くに上ります(193,780件)。児童相談所は親子を分離しなければならないほどの虐待ケースを主に対応すべきなんですが、そんなケースが全国に20万件も発生しているというわけではありません。20万件のうち56%が「心理的虐待」という種別で、保護者が子どもを怒鳴ったり子どもの前で夫婦喧嘩をすることがこれに含まれます。心理的虐待のすべてが一時保護が必要ないというわけではありませんが、身体的虐待や性的虐待に比べれば危険性が少ないのは明らかです。仮にこの心理的虐待を減らすことができれば、児童相談所はもっと危険性の高いケースに集中することができ、子どもが命を落とすようなニュースは少なくなるのではないでしょうか。そのためにできる子育て支援のコンテンツは、多ければ多い方が良いのではないでしょうか。

 

また、「心理的虐待」はなぜ起きるのでしょうか。理由は一つではありませんが、虐待者である親の「イライラ」が原因の大部分ではないでしょうか。ではさらに、なぜイライラするのでしょうか。

人が対人コミュニケーションにおいて怒りを感じるのは、相手に自分の「こうあるべき」を求めるからです。道路で肩がぶつかったとき、「一言謝るべき」と考えているために、謝られなかったときに怒りを感じます。妻が帰りが遅くなった時、「きっと夫は夕飯を作ってくれている」と考えるために、作ってくれていなかったときにイラっとするのです。

子育てでも同じことが言えます。子育ては必ずと言っていいほど思わぬ事態が起こるものです。子育ては(あるいは子どもは)「こうあるべき」との考えが強いほど、不測の事態が起きたときにイライラを感じます。本来子どもの発達によって立ったり歩いたりする時期は違うのですが、早く立ってほしい歩いてほしいと考えるために、不安に感じたり苛立ちを感じたりします。手伝ってくれてもいいのに疲れているからと言って手伝ってくれないパパを見てイライラするのも同じです。パパにイライラすれば、やがて夫婦喧嘩となり、子どもの前で夫婦喧嘩をすれば心理的虐待になります。

そんな「こうあるべき」を解きほぐしていくにはどうしたらいいでしょうか。それは誰かに話すことでしかないと私は考えます。自身の考えを誰かに聞いてもらい、もう少し柔らかく考えてもいいんじゃないかと、適切な時期に適切な言葉で聞くことによって、少しづつ子育てをしやすくなっていくものだと思います。

 

保育園が子育て支援をする理由はまだまだあります。

保育園には保育士と言う子どもの専門家がたくさんいます。それだけではなく、看護師や栄養士、進んだ保育園では社会資源や制度の専門家であるソーシャルワーカーもいます。様々な専門職がそろった保育園と言う組織を、地域の子育て支援に活用しないのはもったいないではないでしょうか。全国に2万3千か所(2020年)ある保育所認定こども園を含めると約3万か所)が、少しずつ専門性を出し合うことが、大きな支援に繋がると思います。

 

そんなわけで私は保育園で地域の子育て支援を担当しています。

保育園の保育士は基本的には目の前の子どものことで精一杯です。だからこそ私は地域の子育て支援を好きなようにやらせていただいています。これももちろん、保育ソーシャルワーカーの仕事の一つです。

長男、不登校になる③~学校を辞める

3月に入り、高校の先生から面談の話がありました。

そこで言われたのは、出席日数と課題提出ができていないために留年の可能性が高いということでした。

出席日数が足りなくなることは以前からわかっていました。なので、唐突な感じはありませんでした。現にこのころは私も今後の身の振り方にどんなものがあるのか調べていました。しかし先生の話はやや冷たく感じたのは否定できません。長男が通っていたのは私立の高校ですから、やる気のない生徒に時間はかけられないでしょう。でも、先生が長男に具体的にしてくれたことと言えば、一度だけ電話で直接話してくれたことだけです。聞くと、コロナが始まって以来、不登校になったのは長男を入れてクラスで3人目だとのことでした。コロナと言う、これまで経験したことのない状況に対して、もっと生徒を支援する方法はなかったのでしょうか。

 

愚痴を言っても始まりません。面談をした日の夜、長男と話をしました。

正直に学校で留年の話が出ていることを伝えました。そのうえで長男自身はこれからどうしたいか聞きました。もちろん、「どうしたいか」と聞いても応えられるわけはありません。そこで、選択肢を3つ用意して聞きました。

1 今の高校に残ってもう一度2年生をする。

2 別の学校に行って通いなおす。

3 高校を辞めて仕事をする。

もちろん、17歳の長男には無限の可能性があります。なろうと思えば何にだってなれるはずです。これから先の人生に「道」なんて存在しません。好きな方向へ好きな速さで歩いていけばいいのです。ですが「自由」とは、とても「不自由」です。砂漠の真ん中に放り出された人には方位磁石や地図が必要です。人生と言う旅をする長男にも「地図」が必要なのです。

 

長男に3つの選択肢を話すと、長男はすぐに「今の学校にはいたくない」と言いました。学校に行かなくなって2か月、何度も長男と話しましたが、長男が自分の意思を話してくれたのは初めてでした。

「わかった」と応えた私の胸は熱くなっていました。長男とは何度も話したましたが、いつも「知らない」「わからない」ばかりでした。でもちゃんと話は届いていて、ちゃんと自分で考えていたのです。そして出した答えが「留年はしない」ということだったのです。自然と長男に「ありがとう」と伝えていました。

 

そして次の日から、進路についての話し合いを始めました。「学校にいたくない」と言っただけで、辞めたあとどうするのかは決めていませんでした。でも長男には進路のイメージがわかないはずです。だからなるべく多くの情報をあげるようにしました。

通信制高校の情報、アルバイトの募集。通信制高校に通いなおして単位を取得すれば3年間で卒業の資格が取得できることも伝えました。その結果、長男の出した答えは、「高校は卒業したい」ということでした。もしかしたら、「したい」という積極的な理由ではなく、仕事はできないからまだ高校に通いたいという消極的な選択だったのかもしれません。それでも長男が決めたことには間違いありません。

 

次の日から、今度は通信制高校の見学を始めました。

パパの絵本の読み聞かせ

子どもに絵本を読んであげることを「読み聞かせ」と言います。

読み聞かせには、子どもの心を豊かにする「情操教育」としての側面と、色々な言葉を知り表現力を豊かにする「言語教育」としての側面があります。パパが絵本を読み聞かせてあげることのメリットと、読み聞かせのコツについて書きたいと思います。

 

パパの読み聞かせのメリット

お風呂はパパが担当、ごはんはママが担当など、子どもとの関わりを役割分担していることがあります。しかし遊びに関しては役割分担をする必要はありません。パパと遊んだりママと遊んだり、ひとりで遊んだりみんなで遊んだり、いろんな経験をすることで子どもは成長していきます。絵本だってそうです。ママが一人で担当する必要はまったくないのです。

 

1 ママとの読み方の違い

よく男性脳と女性脳というように、男性と女性では脳のつくりが違います。また育ってきた環境からもパパとママとでは違うでしょう。ということは、絵本の読み方だって、パパとママとでは違います。

具体的には、女性は絵本を読むとき、「これはなに?」「なんこある?」と絵本に出てくるものから話を広げていきますが、男性は桃が登場したときに、「このまえ桃食べたね」など、現実に結び付けて話を広げると言われます。そうすると、同じ絵本でも色々な角度から楽しめることになり、子どもの想像力が広がるのです。

また、パパとママでは声質も違います。一般的には男性の方が低い声なので、怖い本や暗い本のほうが盛り上がると言われています。それに絵本の読み方は一つではありません。ママが思ってもみなかったような読み方をするかもしれません。もしかしたらおじいちゃんだったら、同じ絵本でも渋い味わいの話になるかもしれません。

要は、絵本を読むのはママだけでなく、色々な人生経験を持った、色々な声質を持った人が読んだ方が子どものためになるのです。

 

2 パパとの愛着関係

日本では平日にパパが子どもと過ごす時間は非常に限られています。イクメンワークライフバランスだと言っても、現実にはパパが育休を取らない限りは、平日はせいぜい数時間、もしかしたらまったく子どもと過ごす時間がないパパも多いはずです。そんなパパが休日に挽回するための手段として、絵本をおすすめします。

「パパに読んでもらう」という特別感と、パパの膝の上の安定感、包み込まれるような抱擁感で、パパの絵本の記憶は色濃く残るはずです。子どもは一度では絵本のイメージを掴み切ることができません。だから何度も同じ本を「読んで」と言ってくるのです。パパも何度も同じ絵本を読んであげましょう。子どもは飽きなくても読んでいる方は飽きてくる?そんなときは色んな読み方にチャレンジしましょう。声質を変えて読んだり、関西弁で読んだり、絵本に合わせて体をゆすったり、何度も読んでいるうちにバリエーションが増え、いつしかパパも読むのが楽しくなってきます。

 

ある子育てイベントに参加していたパパに、今後どんなパパ向けイベントがあったらいいか尋ねたところ、子どもとの遊びを教えてもらいたいと言っていました。家ではママの家事を手伝うというよりも、ママが家事に集中できるように子どもと遊べるようになりたいとのこでした。ママは日中、子どもと一緒にいて、「あれもやりたいこれもやりたいのに全然できない!」という状況のはずです。だからこそパパがいるときはママのやりたいことをさせてあげることが、パパの一番の子育てだと思います。

 

とはいえ、何をしてあげようか。そんなときは子どもに「絵本なんてどうかな?」と声をかけてあげてみましょう。子どもに喜んでもらえるだけでなく、成長にもつながるし、パパも大好きになってくれる、パパも楽しい!パパにとって一石四鳥!

 

読み聞かせのコツ

では上手に絵本を読むコツは何でしょうか。初めに言ってしまうと、私は大切なのは「心」だと思います。抽象的で申し訳ないのですが、子どもに「楽しんでもらおう!」と思う気持ちこそが、楽しい読み方につながります。テクニックばかりに気を取られて上の空で読んでいると、子どもにもそれが伝わってしまいます。

もう一つ大切なことは「恥じらいを捨てる」ことです。子どもに絵本を読むのにプライドは不要です。パパが率先して絵本の世界に入り込んでいきましょう。恥ずかしがって遠慮がちに読んでいたら、子どもだって楽しくありません。

そのうえで、より上手な読み方のコツを書きます。

 

1 声の抑揚

まず絵本のお話に臨場感や登場人物の感情をつけるには、声の抑揚をつけることが大切です。明るいシーンは軽い声で、暗いシーンは低い声で、といったように変化をつけると絵本のお話にもリズムが出てきます。

とはいえ声優や俳優でもないのにそんなことはできない。そんなときは表情をつけて読むといいでしょう。登場人物が泣いているときは泣き顔で、怒っているときは怒った顔で、暗いシーンは無表情で、明るいシーンは笑いながら読むと、自然と声にも変化が出ます。もう一度言いますが、絵本を読むのにプライドは不要です。子どもに見えなくても表情豊かに絵本を読むことが大切です。

一方で、子どもが少し大きくなってくると、敢えて淡々と読むという方法もあります。幼児期に入ってくると、読んだ物語から想像を膨らませるようになってきます。物語の捉え方は一つではありません。パパやママが考える以外の方向に物語の想像を膨らませていくこともあります。想像力を掻き立てるために、「敢えて淡々と読む」ことも大切なテクニックです。

 

2 読む場所

絵本を読むときは、読む場所を決めておくと、子どもは集中することができます。リビングでソファに座って読んだり、パパのお膝に座って読んだり、寝室で寝ながら読むこともあるでしょう。そんなときもパパは右で子どもは左など、ポジションを決めるだけで、子どもは集中することができます。

絵本の内容によって読む場所を変えるのもありです。おばけの出てくる話はパパのお膝で、楽しい話は隣に座って。今日は特別、紙芝居のように向かい合って読む日です!というのがあっても楽しいでしょう。子どもと「今日はどこで読もうか」と話しながら決めるのも楽しみの一つです。

 

3 声の大きさ

絵本は大きな声で読めば良いというわけではありません。むしろ私は子どもにきちんと聞こえていれば、少し抑えた声の方が良いと思います。子どもは大人の話し方を見て、その場に応じた話し方や声の大きさを身に着けていきます。公共の場などでは小さな声で話すことを覚えなければなりません。絵本を読む場面によって、ちょうど良い声の大きさを選んでお話をすることが大切です。

また、子どもが集中してくれないなあと感じるときは、敢えて小さな声で話すと、何を話しているのか耳をそばだてます。そうすると自然と集中してお話を聞いてくれます。

色々な意味で、ちょうど良い声の大きさを選んで読んであげるといいでしょう。

 

改めて言いますが、絵本を読むのに大切なのは「心」です。小手先の技術に頼って「心」をおろそかにすると、つまらないお話になってしまいます。パパが自ら絵本の世界に入って、「絵本を読むこと」を楽しみましょう。

長男、不登校になる②~不登校のはじまり

長男は高校2年の正月明けから学校に行かなくなりました。

 

それまでも何度か学校をサボるということはありましたが、連続して行かなくなることは初めてでした。親としては、もう小学生ではないので無理やり起こして連れていくことはできないし、頭ごなしに怒るのも違うと思っていたので、「毎日時間になったら起こす」ということしかできませんでした。

 

きっかけは、前の年の春から始まった新型コロナの流行でした。

多くの学校がそうであったように、コロナによって休校となり、オンラインによる授業に切り替わりました。長男は昔から宿題が進まない子でしたから、家で動画を観て勉強するのは明らかに向いていませんでした。長男の学校では高校2年の1学期がすべてオンライン授業で、試験の代わりに課題が課されました。長男はこの課題に取り組むことができず、ほとんど手を付けられない状態で2学期を迎えました。幸い2学期は登校が開始したのですが、課題が提出されなければ1学期の評価をつけることができないため、先生から放課後に残ってでもやるように言われました。この課題に長男の何かが引っ掛かったようで、先生から言われれば言われるほど頑なになり、それほど難しいものではないにもかかわらず、取り組めなくなっていきました。

それでも先生のおかげで2学期の終わりには残り数教科というところまで提出することができました。しかし、2学期にも試験はあるわけで、課題に取り組んだ結果、試験の成績が下がり、数教科で赤点をとりました。赤点を取った場合、追試や課題をこなさなければなりません。頑張って1学期の課題をクリアしていったのに、また2学期に赤点をとって、課題が増えてしまったわけです。

やがて長男にのしかかっていった課題と言う重圧が、正月休みを挟んで爆発してしまいました。

 

年明け初登校日は1月4日でした。私たち親は共働きで、二人とも初仕事の日だったので、いつも通り家を出ました。長男も何度も声をかけてようやく起き、何とか学校に間に合う時間に家を出ました。だいぶ渋っている様子はあったのですが、年末年始の生活リズムの乱れが出ているくらいにしか思いませんでした。しかし、この日は登校せずに、近所をぶらぶらして昼過ぎに家に帰ってきたようでした。それがわかったのは、学校から電話があったからです。無断欠席の場合、必ず学校から電話がかかってくることになっており、これまでも何度か同じことがあったので、「またか」くらいにしか思いませんでした。帰宅してから長男には、厳しく言っても頑なになるだけなので、何故行きたくなかったのか、明日は行くようにとだけ伝えました。

翌日、朝起きると長男の姿がベッドにありませんでした。登校が嫌で逃げたのだなと直感しました。長男の行きそうなところを自転車で回って30分ほどでしょうか、偶然にも道路を歩いているところを見つけることができました。長男はこの日、夜寝ることができずに徹夜をし、家族が起きる時間に家を出たとのことでした。しばらく一緒に歩き、学校に行きたくないのなら理由を教えてくれないかと聞きましたが、答えらしい答えはありませんでした。ならばせめて家を出ていくようなことは心配なのでしないでほしいとだけ伝えました。この日から、長男の不登校が始まりました。

 

翌週から、長男は朝ベッドから出てこなくなりました。毎日時間通りに起きるように声をかけ続けましたが、まったく出てきませんでした。長男と二人になる時間を作って、なぜ学校に行きたくないのか教えてほしい、できることは何でも手伝うと伝えましたが、長男自身にも理由ははっきりわからないようで、話し合いに答えは出ませんでした。同じ時間だけが流れ、2週間が経った頃、学校の先生と面談をし、先生から直接電話で長男と話してもらいました。同じころ、長男もさすがにそろそろ戻ろうかと思ったのか、夜中に課題をやっている様子もありました。しかし、結果的に学校に行くことはありませんでした。長男自身もそんな自分にショックを受けている様子で、表情が暗い日や食事が進まない日が出るようになりました。またどこかイライラしている様子もありました。

 

はじめの1か月くらいは、毎日朝の同じ時間に起きるように声をかけ、いつ出かけてもいいようにお弁当を用意していました。しかし声をかけても返事はないし、お弁当を作っても手を付けない日が出てきました。長男はずっとベッドにもぐりこんでいるわけではありませんでした。夕飯は家族と一緒に食べたし、外食に出ることもしていました。中学時代の友達に誘われて遊びに行くこともありました。だからこそ本人は「やろうと思えばできる」くらいに思っていたのだと思います。行こうと思っても行けないとわかり、それがさらに自己否定につながり、さらに悪化するといったサイクルに陥っているように見えました。

 

不登校になって1か月が過ぎた2月、先生から進級に関する話が出ました。長男の場合、進級のためには、授業日数だけでなく、1学期の課題も提出しなければなりませんし、3月には学年末テストもあります。明日から頭が180度回転しない限りは無理と思えるような難題でした。長男はもともと課題提出が難しいために不登校になりました。そんな長男に進級ができなくなるから登校して課題をやれと言っても、無理でしょう。そんなに簡単ならとっくに課題に取り組んでいます。長男には長男なりの理由があって、その理由を解きほぐさない限り、登校や課題はできないはずです。

 

2月が終わり3月に入ろうかという頃、突然長男が「学校に行く」と言いました。

その日は月曜日で、前日に中学時代の友人に会っていました。それが刺激になったのか、朝早くに起きてきて、制服に着替え、いつも通りの時間に出かけていきました。私はその日、仕事の都合で朝早く出かけていたので、母親が慌ててお弁当を用意したと言っていました。ただ、次の週からテスト期間に入り、授業日数的にも厳しいため、タイミング的には遅すぎでした。実は長男にもそれがわかっていたのかもしれませんでした。次の日から、また学校には行きませんでした。もしかしたら長男なりに級友にお別れをしたかったのかもしれません。

 

私自身、長男の長い人生を見据え、不登校が解消されたとしても、その先に就職して自立していくという未来が見えるかどうかが重要だと考えていました。だから進級云々よりも、この難局をどう乗り越えるかが大切だと考えていました。数日おきに長男と二人で話すようにしていましたが、長男は話を嫌がり、適当な生返事を繰り返していました。留年が確実となったこの時期、親として次にどうすべきか、悩んだ時期でもありました。