ひろしせんせーのひとりごと。

44歳の脱サラ保育士ひろしせんせーが書いています。

長男、不登校になる⑪~アルバイト挑戦

9月に入ると世の中の学校は2学期がやってきますが、長男には2学期はやってきません。いつも通り家にいるだけでした。毎週金曜日にクリニックに行くようになったものの、学校に行くことはありませんでした。

クリニックに行くのにあたっては一つの懸念がありました。それは、病気であることが学校に行かない言い訳になるのではないかということです。そこで、長男に改めて学校に行かないでどうするつもりなのか訊きました。すると、

 

「アルバイトをする」と言うのです。

 

そういえば好調期にアルバイトをしてもいいかと聞いてきたことがありましたが、面接に行っている様子はありませんでした。しかし本人の中では燻っていたようです。私はもともと学校に行かなくても、何かやりたいことが見つかれば良いと考えていたので、やってみなさいと応えました。ただ、今までのようにグズグズしている時間はないので、いつまでに応募して面接なりを受けるのかを約束させました。

次の日から、私も空き時間に求人サイトを検索し、アルバイト情報を長男に送ってあげました。接客は長男には難しいですが、工場での軽作業などのイメージしにくい仕事には興味を持たないだろうと思い、キッチンスタッフやスーパーの品出しなどを紹介しました。

約束は1週間以内でしたが、長男は2週間ほどかけて、ついにアルバイトの応募をすることができました。夜中に急に長男に起こされて、履歴書はあるかと聞かれました。私は数年前に転職したばかりで、その際に履歴書を書きましたが、今時は履歴書もパソコンで作成する時代なので、残念ながら白紙の履歴書は持っていませんでした。そこでお金を渡し、コンビニで買ってくるように言いました。また履歴書には写真を貼らなければならないので、面接の前に駅前の証明写真ボックスで写真を撮ってくるように教えました。あまり色々と教えると嫌がるだろうし本人のためにもならないので、あとは自分で調べるように仕向けました。もっとも、母親は心配であれこれ口を出していましたが・・・。

 

結論から言うと、長男は3つほど面接を受けたようですが、すべて採用されませんでした。おそらく面接の受け答えが上手にできなかったのでしょう。長男が希望したアルバイト先がコンビニのような接客業だったことも良くなかったと思います。1か月ほどすると面接に出かけることはなくなり、長男にそのことを聞くと、浮かない顔で返事を濁すだけでした。

こうして長男の挑戦は終わったのですが、社会に向き合い、自分にできないことを知ることが出来たのは、良い経験だったのではないかと思います。結果は残念でしたが、この経験は次に挑戦するときに活かされると信じています。(このページを書いているのは3~4か月後の1月で、まだアルバイトも進路も決まっていません。だから本当に活かされるかどうかは現時点ではわかりませんが。)