ひろしせんせーのひとりごと。

44歳の脱サラ保育士ひろしせんせーが書いています。

長男、不登校になる⑬~自立支援医療制度

前回の「徒歩4時間事件」を経て、私は長男と対話をする気力を落としていました。その間、長男は学校に行くことはなく、アルバイトも採用されないため諦めてしまったようでした。ただ、事件の翌週もクリニックの予約を入れていたのですが、その日は私が家から同行することで行くことが出来ました。

事件翌週のクリニックの日は、仕事を午後休で帰宅して一緒にクリニックに行こうと前日に伝えていたため、布団から出てこないとか、その時間に出かけてしまっているとか、頑なに行きたくないと渋るとか、色々な悪いパターンを想定して心の備えをしていました。しかし、やや渋ったものの一緒に受診することができました。

先生からは、先週はどうしたのか問われましたが、長男は何も答えることが出来ませんでした。また、これから先どうしたいと思っているか、このままでいいと思っているかとも問われましたが、やはり答えることが出来ませんでした。少なくともこのままでいいと思っているわけではないとわかったのが、私にとっての救いでした。

 

ところで、この頃の長男はすでに昼夜逆転の生活は改善傾向にありました。ただ、学校に行っていない長男にとって、クリニックは唯一家族以外の大人と対話をする場所です。普通の高校生は学校や部活で先生と対話をすることで大人とのコミュニケーションを学びますが、長男はその経験ができません。先生との診察の前には長男とカウンセラーの1対1のカウンセリングがありますから、そこでコミュニケーションスキルを身に着けることが、今の長男にとっての受診目的となっていました。

私としてはこれからもクリニックに通ってもらいたいと思えたため、自立支援医療費制度の申請をすることにしました。自立支援医療費制度とは、主に継続して精神科受診をする場合に、住んでいる自治体に申請すると窓口払いが1割になる制度です。受診費用は1回あたり3,000円強。薬も合わせると4,000円近くになります。毎週通うと月に16,000円となるところ、自立支援医療費制度を使えば1回あたり1,000円ちょっと、月にしても4,000円程度に抑えられます。

すでに3か月ほど通ってしまいましたが、遡って申請することはできないため、なるべく早めに申請したいところでした。私の場合、まず先生に申請したい旨を伝えました。先生は了承してくれて、では窓口で伝えてくださいと言われました。ところが窓口で女性の方に申請したい旨を伝えると、役所の窓口に相談してくださいと言われてしまいました。役所へ行くにはまた休みを取っていかなくてはなりません。私は申請方法は役所のホームページで調べて知っている(一応社会福祉士の端くれですとは言いませんでした)ので、次に来る時でいいので先生の診断書が欲しいと端的に伝えました。すると、窓口の女性の方は制度をよく理解していなかったのでしょう、別の男性の方にバトンタッチしてくれて、男性の方は先生に確認し、次回診察までに診断書を用意してくれることになりました。良かった良かった。制度を理解していないと余計な時間を食ってお金が余計にかかることになるので注意が必要です。

次の週、無事に診断書がもらえました。中身は封がしてあるので私は見ることが出来ません。どんな診断名がついているのか気になりましたが、長男のプライバシーもあります。診断書は3,000円だったと思います。文書1枚書くだけで3,000円かと思いますが、自立支援医療用の診断書は比較的安い方ではありました。数日後、その診断書と住民票などの必要書類をもって地元の保健所を訪れました。申請書を書いて必要書類と一緒に提出するだけで、窓口でも職員の方が丁寧に書き方を説明してくれましたので、それほど時間はかかりませんでした。申請が終わると、仮の受給者証のような書類が渡されます。次回受診時には必ずクリニックの窓口に提出するように言われました。ちなみに、ちゃんとした受給者証が郵便で届いたのは、それから2か月ほど経った頃でした。

 

さて、翌週、仮の受給者証をもって長男とクリニックを受診しました。費用は予定通り、1,000円強となり、だいぶ金銭的な負担は減りました。しかしそれから数回通ったきり、クリニックからは足が遠のくことになりました。

長男、不登校になる⑫~徒歩4時間事件

長男の不登校を扱った記事は12回目になりました。このブログのほとんどが不登校のことになっています。それだけ今の私の頭を占めている懸案事項なのだと思います。

 

さて、長男がクリニックに受診をはじめて1か月が過ぎ、アルバイトの面接に行き詰まりを見せ始めたころ、標題の事件が発生しました。「事件」というとおおげさですが、私にとっては心がポッキリ折れた事件でした。

 

長男は不眠に悩まされてクリニックに通い始めました。長男は投薬を選択しましたが、当初は薬を飲んだり飲まなかったりでした。しかし医師の先生からのアドバイスで毎日同じ時間に飲むようになり、薬の効果なのか長男自身の考えが改まったのか、少しずつ生活リズムが正常に戻っていきました。さらにまた、先生からのアドバイスで日中に外出をするようになり、そして前回の記事のようにアルバイトの面接に出かけるようになったのです。

 

そんな改善の兆しが見えてきた金曜日、長男はクリニックに受診の予約を取っていました。私は秋になると喘息が悪化するため病院に通っており、通院後に長男の受診に付き合うことになっていました。特に示し合わせたわけではないのですが、その日は母親も仕事が休みでした。

私のアレルギー科の病院は常に混んでいて、朝に診察券を出して昼に診察を受けるような病院でした。私はいつも通り8時過ぎに病院で診察券を出し、近くでコーヒーを飲んで順番を待っていました。しかしその日に限って順番が遅く、診察が終わったのが13時過ぎになってしまいました。前にも書いた通り、長男のクリニックは電車で1時間の場所にあります。14時に予約をしていたため、私は通院先から自宅に電話をし、母親から長男に、「一人でクリニックに行って待っていてほしい」と伝えてもらいました。

長男が一人で出かけてくれるか不安でしたが、母親からの報告では、きちんと時間通りに家を出たとのことでホッとしました。私はなるべく駅の改札で合流できるように、急いで後を追いました。

 

さて、私は通院先から電車で1時間かけてクリニックに行きました。計算では、私がクリニックに着くのとちょうど同じくらいの時間に長男は到着するはずでした。ところが、クリニックに着くと長男の姿はなく、しばらく待ってもクリニックに現れませんでした。長男はスマホを持って出かけているため、すぐに電話をしましたが、出てはくれません。LINEにもメッセージを入れましたが、既読になりません。

どこかで迷っているのか、それともクリニックに一人で入る勇気がないのかと思い、しばらくクリニック周辺を探し、その後駅の改札口で待つことにしました。しかしやはりいくら待っても長男を見つけることはできませんでした。

 

予約の14時から1時間半ほど探し回った末、諦めてついにクリニックに連絡をしました。予約をすっぽかしてしまったことを謝罪し、薬だけでも処方してもらいました。先生には良い兆しが見えていただけにガッカリしたと伝えましたが、特に励ましの言葉はもらえず、長男の薬を手に夕暮れの中を電車に揺られて帰宅しました。

 

長男から連絡があったのは18時半ごろでした。連絡が取れなくなったクリニックの予約時間から4時間以上が経っていました。長男の第一声は「疲れたから迎えに来て」でした。前にも書きましたが、長男はいつの頃からか行き詰ると歩くという特徴があります。行きたくない学校に行かなければならないときも、電車で行けば30分もかからないところを、1時間かけて歩いて登校しました。そしてこの日も、クリニックの近くまで行くことはできたけど、入ることが出来ずに歩いて帰ってきたようでした。しかし電車で1時間かかる距離にあるため、徒歩では4時間以上かかったというわけです。

9月の下旬とは言え、まだ日中は暑さが残っていました。日頃ほとんど引き籠っている長男は途中で脱水症状に陥って嘔吐し、コンビニで水を買って飲みながら帰ってきたとのことでした。電話をしてきた場所はすでに家から20分足らずの場所。ただ私はまだクリニックから帰っておらず(再予約となったため診察にだいぶ待たされていました)、帰ってから車で迎えに行くので待つように伝えたのですが、待つくらいなら自分で帰ると言って聞かず、結局そのまま自力で帰ってきました。

 

ゲッソリと疲れ果てて帰ってきた長男を見て、とりあえずホッとしながらも、なぜクリニックに行かなかったのか、なぜもっと早く連絡をくれなかったのか、問い質したいことが山ほどありましたが、すべて飲み込むことにしました。口に出すと感情的になって怒りや嫌味をぶつけてしまう気がしたのと、「少し良くなってきていたと思っていたのに、またこんなことをするのか」という脱力感が対話をする気力を削いだのだと思います。

 

長男は帰宅すると水分補給をし、余程疲れていたのか、問い質されるのが嫌だったのか、すぐに寝てしまいました。この日以来しばらく、私は長男と対話をする気力が明らかに落ちてしまいました。そして長男の将来について、色々と考えを巡らせるようになりました。

長男、不登校になる⑪~アルバイト挑戦

9月に入ると世の中の学校は2学期がやってきますが、長男には2学期はやってきません。いつも通り家にいるだけでした。毎週金曜日にクリニックに行くようになったものの、学校に行くことはありませんでした。

クリニックに行くのにあたっては一つの懸念がありました。それは、病気であることが学校に行かない言い訳になるのではないかということです。そこで、長男に改めて学校に行かないでどうするつもりなのか訊きました。すると、

 

「アルバイトをする」と言うのです。

 

そういえば好調期にアルバイトをしてもいいかと聞いてきたことがありましたが、面接に行っている様子はありませんでした。しかし本人の中では燻っていたようです。私はもともと学校に行かなくても、何かやりたいことが見つかれば良いと考えていたので、やってみなさいと応えました。ただ、今までのようにグズグズしている時間はないので、いつまでに応募して面接なりを受けるのかを約束させました。

次の日から、私も空き時間に求人サイトを検索し、アルバイト情報を長男に送ってあげました。接客は長男には難しいですが、工場での軽作業などのイメージしにくい仕事には興味を持たないだろうと思い、キッチンスタッフやスーパーの品出しなどを紹介しました。

約束は1週間以内でしたが、長男は2週間ほどかけて、ついにアルバイトの応募をすることができました。夜中に急に長男に起こされて、履歴書はあるかと聞かれました。私は数年前に転職したばかりで、その際に履歴書を書きましたが、今時は履歴書もパソコンで作成する時代なので、残念ながら白紙の履歴書は持っていませんでした。そこでお金を渡し、コンビニで買ってくるように言いました。また履歴書には写真を貼らなければならないので、面接の前に駅前の証明写真ボックスで写真を撮ってくるように教えました。あまり色々と教えると嫌がるだろうし本人のためにもならないので、あとは自分で調べるように仕向けました。もっとも、母親は心配であれこれ口を出していましたが・・・。

 

結論から言うと、長男は3つほど面接を受けたようですが、すべて採用されませんでした。おそらく面接の受け答えが上手にできなかったのでしょう。長男が希望したアルバイト先がコンビニのような接客業だったことも良くなかったと思います。1か月ほどすると面接に出かけることはなくなり、長男にそのことを聞くと、浮かない顔で返事を濁すだけでした。

こうして長男の挑戦は終わったのですが、社会に向き合い、自分にできないことを知ることが出来たのは、良い経験だったのではないかと思います。結果は残念でしたが、この経験は次に挑戦するときに活かされると信じています。(このページを書いているのは3~4か月後の1月で、まだアルバイトも進路も決まっていません。だから本当に活かされるかどうかは現時点ではわかりませんが。)

長男、不登校になる⑩~初診

夜寝付けないのが苦しかったようで、長男は思春期精神科のクリニックを受診しました。

 

選んだクリニックは、自宅から電車で1時間の距離だったのですが、デイケアを行っているところだったので、ある程度診察に慣れてきたらデイケアに通って、長男がコミュニケーション力などを身に着ける練習をしてくれればと思っていました。

 

さて、8月下旬の金曜日。初めての受診の日、長男に朝からプレッシャーをかけるのは良くないのではないかと思い、午前中だけ仕事に行き、お昼に帰ってきました。前の日にクリニックに行くことは伝えていましたが、いつも土壇場で逃げられるので、やっぱり行きたくないなどと言わないかと不安な気持ちで帰宅しました。

昼夜が逆転している長男でしたが、パジャマのままではあったものの起きており、病院に行こうと誘うと、素直に従ってくれてホッとしました。クリニックまでの道すがら、どんなクリニックだろうか、先生にはどんな話をすればいいか、初めての受診だったので私自身も緊張していたように思います。普段から必要以上に会話をする方ではありませんが、このときは長男とほとんど会話らしい会話をせずに行ったように思います。

 

思春期精神科にも色々あるようで、このクリニックは子ども自身としっかり対話をし、その内容は親にも秘密にし(子どもの問題は親が原因ということも多いからでしょうが)、治療方針も子どもと一緒に決めるという、子ども本位のクリニックでした。この日は初回受診と言うことで、まずはカウンセラーさんのカウンセリングを長男と私と別々に受けました。私と長男と、それぞれ15分程度でした。私は長男は思いのたけを語ることが難しいと考え、与えられた時間で課題となっていることをすべて伝えようと張り切って話しました。しかし長男の抱える課題を語るには生い立ちから語る必要があり、とても15分程度で語ることはできませんでした。私と長男のカウンセリングの後、医師の診察となりました。医師は男性で、私よりも少し若い先生でした。

 

先生は長男が答えるまで気長に待ってくれる方でした。先生はまず長男に困っていることは何かと聞きました。答えが返ってこないことには治療方針が立たないため、先生は長男が答えるまで気長に待ってくれました。長男はやっとのことで最近眠れないことがあると答え、先生はそれを治すためのいくつかの方法を提案しました。また長い時間をかけ、長男は薬を使ってみることを選択しました。もちろん雑談のような会話も挟みましたが、これだけの結論に至るまでに、長男と先生との診察は30分近くかかりました。

薬はロゼレム錠という、睡眠リズムを調整する薬を処方されました。睡眠リズムを調整するというのは、薬の力で強制的に眠らせる睡眠薬とは違い、体内時計をリセットして元に戻す薬です。人間の体内時計は朝日を浴びたり日中に活動したりすることで正常に動き、夜が来ると眠くなって朝が来ると目が覚めるようになっています。長男は朝日も活動もないため、この体内時計が狂ってしまっていると考えられました。そのため、夜に1回分の薬が処方されました。眠れない症状に対して最も軽い薬物治療と言えると思います。

 

やはり緊張していたようで、帰り道は行きに比べて気楽になりました。少しだけ話をしながら帰りました。それから、受診は毎週金曜日に通うようになりました。

保育士の付加価値~絵本テラーへの道

前文

私は40歳を過ぎて保育士となりました。周りの保育士を見ると、若い保育士は若さがあり、ベテラン保育士には経験があります。それに比べて私には若さも経験もありません。どうしたら他の保育士と肩を並べることができるでしょう。保育ソーシャルワーカーとしての知識と経験は保育士にはないものですが、日々の保育の中では必要とされないスキルであるため軽視されがちです。保育士に一目置かれて存在感を出すためにはどうしたらいいか。その答えは「付加価値」です。

実際に保育園で働いていると、色々な保育士がいることがわかります。絵の上手い保育士、音楽ができる保育士、パソコンが得意な保育士、虫に詳しい保育士や植物に詳しい保育士もいます。保育園という狭い社会だからこそ、それらの個性は保育に活かされます。個性が保育に活かされると、その保育士は保育園に欠かせない存在となります。これが「付加価値」です。保育士が保育以外の得意分野を持つこと、それがこれからの保育士に、特に私のような中年中途保育士には必要なのです

 

そこで私が目指すのがタイトルにある「絵本テラー」です。絵本テラーという名前は私が勝手に名付けました。英語の使い方として正しいのかどうかはわかりませんが、ただ絵本を読み聞かせるだけではなく、絵本の世界観を体験させる語り部となることを想定して命名しました。今回は絵本テラーとなるために身に着けた知識のまとめです。

 

絵本を読み聞かせるということ

まず、絵本テラーとして言いたいのは、絵本の読み聞かせとは「体験」であるということ。誰が絵本を読むか、どこで読んだか、いつ読んだか、どんな匂いや温もりのもとで読んだか、ページをめくる間にどんな言葉かけをしたか、読み終わってからどんな話をし何をしたか。絵本を読みきかせる言葉や環境は一回一回で異なります。読み聞かせてもらった子どもにとってはその一回一回が異なる体験なのです。だから、単に絵本のストーリーを読むだけではなく、どんな環境で、どんな言葉かけをして、どんな反応を楽しむか。そこまでの一連の「体験」が絵本を読み聞かせるということなのです。

 

絵本の効果

子育てにおいて絵本を読むことにはどんなメリットがあるのでしょうか。メリットがあるからするというものでもありませんし、何事もバランスが大事ですから、絵本は万能薬ではありませんが、絵本を読み聞かせることの効果についてまとめておきます。

1 親子の愛着形成

私は絵本を読み聞かせる最大の効果は、愛着形成に役立つことだと思います。愛着は親子だけではなく、広く世話をする人と形成されると言われています。ですが、多くの子どもが人生を長くともにするのが親なので、ここでは親子の愛着形成とします。絵本を通じた声掛けや肌のふれあいは子どもに安心感を与えます。親のそばにいることで感じる安心感とはすなわち「愛着」であり、愛着が十分育っていると探索活動(親のそばを離れて遊ぶ経験)を活発に行い、様々な経験を積むことが出来るようになります。探索活動は赤ちゃんの頃だけでなく、大きくなってからも続くことです。また、乳児期に十分な愛着を形成した子どもは「自分は大切な存在」という感覚を持ち、自己肯定感が育まれます。自己肯定感の強い子は挫折に強く、また人生を楽しむ力も強くなります。

2 情緒の成長

子どもが絵本の読み聞かせをしてもらっているときは、脳の情緒面をつかさどる部分が活発になっているという研究があります。絵本の登場人物の喜怒哀楽を疑似体験ををすることで、子ども自身の感情が豊かになっていきます。楽しいときには笑い、悲しいときには泣く、感情が豊かであれば人生に深みが生まれるだけでなく、他者の感情にも敏感になることが出来ます。私は「やさしさ」とは、相手の気持ちが心から理解できる人のことを言うと思います。絵本を読むことで「やさしい子になる」と言ってもいいのではないでしょうか。

3 言語表現の成長

絵本をたくさん読むことで、様々な言葉を覚えることが出来ます。特に2歳ごろは語彙爆発といって、たくさん言葉を覚える時期です。日常会話では使わないような言葉が絵本に出てくることでどんどん言葉を吸収していきます。絵本を読んで「〇〇って何?」という質問に答えることでも語彙を獲得していきます。語彙力が多いと自分の気持ちをいろいろな言葉で表現できるようになります。「好き」と「嫌い」だけだった感情が、多様な言葉で表現できるようになり、楽しい、美味しい、気持ちいいなど、様々な感情を表現できるようになります。

4 想像力や集中力がつく

当たり前なので二つまとめて書いてしまいますが、絵本の世界観を疑似体験することで想像力がつき、成長するにつれて集中力もついて、だんだん長い本が楽しめるようになっていきます。想像力と集中力は時として反対の意味に使われることがありますが、想像は「創造」に繋がります。集中して想像の世界に身を置くことが出来ると、新しいものを創造する力に繋がります。目まぐるしく発展を遂げる現代にあって、他人と異なる発想ができる「創造力」は強い武器になるでしょう。

 

年齢ごとの絵本選び

1 ブックスタート

絵本はいつから読み聞かせればいいのでしょうか。よく聞く疑問です。

生まれたばかりの赤ちゃんの視力は0.01程度で、色もモノクロだといわれており、目の前の30cmくらいがぼんやり見えている程度です。ママやパパを見て笑ったような仕草をするのは、声や匂いに反応しているからです。だんだんと色の違いまで分かってくるのは4~5か月くらいです。このくらいの時期なら色の違いを楽しむことができるようになり、絵本の楽しみがわかり始めていると言えます。内容よりも絵が色彩豊かでシンプルなものを選びましょう。

「こんなに小さいのに絵本を読んでもわからないだろう」という考えが「いつから」という疑問の源でしょう。しかし絵本の効果でも書いたように、物語を読むだけが絵本の読み聞かせではありません。赤ちゃんと一緒に肌を寄せ合って読む「体験」が大切なのです。赤ちゃんに読み聞かせをしても、思ったような反応をしてくれることはほとんどないといっていいでしょう。絵本をパラパラめくったり、閉じてしまったり、時には舐めたり破いたりしてしまいます。しかしそれも「体験」です。食べるものではないと言っても0歳の子にはわかりませんから、舐めたり破いたりしてほしくない場合は、布やボードタイプの本を選びましょう。

2 1歳から2歳ごろ

内容を理解するのは2歳くらいになってからですが、1歳を過ぎるころからだんだんと「絵本を読むこと」に興味を持ってきます。「読んで」と絵本を持ってきたり、「絵本読むよ」というと嬉しそうに近寄ってきたりします。簡単なストーリーで、言葉のリズムが楽しいものや、仕掛け絵本も興味を引きます。絵本に出てくる食べ物を食べる真似をしたり、一緒に絵本に触れてみたりする体験をしながら読んであげる時期です。

2歳ごろになったら登場人物が少ない短めの絵本を選んであげましょう。絵本の効果でも書いたように、言葉が増える時期ですから、絵を見て「これは〇〇だね」とか、「このまえあそこにあったね」とか声をかけてあげると、現実世界とリンクしてより豊かなものとなっていきます。子どもと会話をしながらページをめくっていきましょう。

どの年齢でも通じて言えることですが、子どもは同じ絵本を何度も読んでとせがんできます。つい色々な絵本を読んでもらいたいと思ってしまいますが、ぜひ子どもが読んでほしいといったものは何度でも読んであげてもらいたいと思います。子どもの理解力では一度ではストーリーを完全に理解することが難しいだけではなく、一度読んだ絵本をもう一度読むことで、気持ちに余裕ができ、様々な気づきや反応が出てきます。またお気に入りのシーンを何度も見て安心感を得るという効果もあります。読み手の方も飽きてしまわないように、読み方に変化をつけるなどの工夫があってもいいと思います。

3 3歳以降

3歳からは絵本の好みや集中力にも個人差が大きくなってきますが、それはストーリーを理解し始めている証拠です。子どもの好みに合わせてたくさん読んであげるといいでしょう。もちろんたくさんの遊びに興味を持つ時期でもありますから、絵本に興味を持たなくなったからと言って残念に思う必要はありません。寝る前やお風呂の後など、時間を決めて読んであげると集中しやすく、子どもも喜ぶはずです。

4歳以降になると、次第に長い本も集中して聞けるようになっていきます。同時に、乳児の頃にやっていたような絵を見て声をかける必要はなくなります。子どもは頭の中で想像するようになります。だから読み方も少しずつ変えていく必要が出てきます。子どもに自由な想像力を発揮してもらうために、大げさに声色を変えて読むのではなく、敢えて淡々と、ゆっくりと、なるべく絵本に書いてある通りに読むようにします。絵本の物語の捉え方は一つではありません。自分の価値観や大人の見方を押し付けるのは、絵本の世界観を狭めてしまうことに繋がります。本を読んだ後は感想を聞きたくなりますが、感想を求めること自体、大人の価値観ではないかと私は思います。大人だって良い本や映画を読んだり観たりした後は、余韻に浸りたいという人もいるはずです。子どもが自分から「〇〇だったね」と言ってきたら「そうだね」と共感しましょう。

 

読み方のコツ

年齢に合わせて読む絵本が変わっていくことを説明するとともに、読み方も変えていくと説明しましたが、具体的にどうやればいいのでしょうか。絵本テラーの真骨頂。絵本の読み方をまとめます。

1 乳児期の読み方

年齢ごとの絵本選びでも説明したように、乳児期にとっての絵本は玩具の一つです。それも周りの人とコミュニケーションを図る玩具です。絵本を通じて会話をしながら読むのがいいでしょう。乳児期は記憶を長く留めておくことができませんし、物の保存も理解していません。目の前にある絵がすべてです。絵を指さしながら読んだり、音に合わせて本を揺らしたりしながら、楽しく読みましょう。絵本の絵から食べ物をとりだして「パクッ」としたり、動物が出てきたら撫でてあげたり、あたかもそこに存在するかのようにしながら読むといいでしょう。

また、まだ言葉の意味も理解できない乳児期は、言葉のリズムを楽しむ時期です。「とんとん」や「じゃあじゃあ」といったリズムのよい言葉を楽しみます。ゆっくりとリズムよく、そして話しかけるように読んであげると良いでしょう。

絵本を絵本のまま読むことを推奨する人もいますが、私は乳児期は好きな言葉かけをしながら読んだ方がいいと思っています。何度も言いますが、この時期の絵本は親子の共通体験をするためのコミュニケーションツールです。親子の愛着形成や情緒、言語の獲得のためにも、たくさん言葉かけをしながら読んでもらいたいです。

2 幼児期の読み方

幼児期の方が読み方に迷う人や上手くできないと悩む人が多いと思います。そもそも文字を読むのが苦手という人もいるのではないでしょうか。

そんな人でもできるコツは「ゆっくり読む」ことです。私たち素人には落語家やテレビのナレーションのように滑らかに読むことはできません。どうしてもつっかえたり間違えたりしてしまうものです。だからゆっくりと読むことで、なるべく間違えを減らすようにするのです。幸いなことに、子どもは早く読むと内容をよく理解できません。ゆっくりと、一文ごとに間を取りながら読むことは、子どもに考えたり想像したりする時間を与えることになります。

また、幼児期は絵本を読みながら想像力を働かせます。登場人物の気持ちになり、絵本の世界に入り込みます。そのとき、大人の価値観や先入観で登場人物のキャラクターを作ってしまったらどうなるのでしょう?子どもがせっかく想像力を働かせているところを阻害することになってしまいます。絵本の世界は大人が考える以上に自由なのです。ですから、余計なアドリブなどは入れずに読んだ方が良いでしょう。

ただ、だからといってニュースの原稿を読むように淡々と読んでいては、子どもは飽きてしまいます。読み方に抑揚をつけて、感情や臨場感が伝わる読み方をする必要があります。そんな読み方は難しそうに思えますが、案外簡単な方法があります。それは自分の表情に出すということです。絵本には登場人物の絵があります。その登場人物と同じ表情で読んでみましょう。自分では意識せずとも、自然と読み方に抑揚が出てくるはずです。信じられないなら、家族の他の人にやってもらいましょう。普段子どもと遊ばないパパにやってもらうと、案外ハマって何冊も読むようになるかもしれませんよ。

 

あとがき

ここまで絵本テラーの持つべき基本的知識を書きましたが、最後に最も大切なことを書きます。絵本を読むのに一番大切なことは、「読み手が楽しむ」ということです。はじめに書いたように、絵本の読み聞かせは「体験」なのです。読み手が楽しんでいる気持ちは必ず子どもに通じますし、逆につまらなそうに読んでいれば、その気持ちも子どもに伝わります。

子どもと一緒に絵本を楽しむ。

それが絵本テラーへの第一歩だと思います。

長男、不登校になる⑨~秋

 長男の通信校では9月に前期試験がありました。コロナのためオンラインで行うことになっていたのですが、オンラインに苦手意識のある長男にはこなすことが出来ませんでした。それは想定できていたので、長男には登校して学校で受ければいいと伝えていました。しかしそれも出来ず、9月に入るとまったく登校することが出来なくなりました。長男の中でどんな心境の変化があったのかわかりませんが、何となく学校に対するモチベーションの低さを感じていました。

 

 少し時間的には遡りますが、8月下旬、長男に学校に行ったらどうかと言い始めた頃、布団に入っても寝付けないと訴えてきました。

 学校に行かなくなってから少しずつ深夜まで起きていることが多くなり、やがて朝まで寝ていないこともあるようになってきました。当然食事は昼と夜の2食のみ。もともと食が細い方だったため、昼も少なめで夕飯だけで栄養のほとんどを摂るような生活になりました。さすがに親として心配なので、何とか早く寝るように勧めたのです。そこで布団に入っても寝られないのだと打ち明けてくれました。

 長男のこの膠着状態を打破するためなら藁にもすがる気持ちがありましたので、長男には医者に行くかと聞きました。不登校が始まったころにも一度、病院受診を提案してみましたが、その時は嫌がりましたが、この時は「どっちでもいい」との返事でした。

 親の話に素直に耳を傾けることが出来ない長男は「嫌」はハッキリ言うことが出来ますが、「OK」は素直に言えません。大体OKの場合、この「どっちでもいい」を使います。「夕飯外食でもいい?」と聞いた場合、OKの場合は「どっちでもいい」、嫌な場合は「面倒くさい」です。長男との質疑応答は大体この2つの言葉で成立しています。

 正直、自分で長男に聞いておいてこの返事に驚きました。一度断られていたこともありますが、それほどまでに困っていたという事実に驚いたのです。

 

 気持ちが変わらないうちにと、私は近所の思春期精神科のある病院を探しました。高校生の不登校や引きこもりを対象とする医科を思春期精神科とか思春期外来と言います。子どもの発達支援をする児童精神科などとは違います。私の住む東京都には思春期精神科はすぐに見つかりました。しかし私のこれまでの仕事での経験から、薬ばかり出す医者やろくに話も聞かない医者がいる、つまり当たりはずれがあることを知っていました。ハズレを引かないために、いくつか条件を絞って探すことにしました。一つはカウンセラーが常駐していること。医者がイマイチだったとしても、カウンセラーに話を聞いてもらえれば効果があります。二つ目はデイケアを行っていること。長男が精神病かどうかは別として、精神病の人が薬やカウンセリングによって心の平穏を取り戻しても、社会の中で生きていくにはまだまだ訓練が必要です。デイケアプログラムを行っているところは、社会復帰についてまで考えているということです。

 余談ですが、精神科を探す際、口コミ情報は当てになりません。大体において精神科を受診した人が口コミを書いているわけですが、精神病には特効薬があるわけではありません。したがって、患者にとっての医者の良し悪しは相性次第です。薬で良くなる人もいれば、話をたくさん聞いてもらいたい人もいます。その相性が合えば良い口コミになるし、相性が合わなければ悪い口コミになります。数件程度の口コミ情報は偏った情報で信頼できないのです。

 とはいえ、近隣の良い医者を教えてくれる方法は考えつかないので、まずはネットで検索するしかありません。上記の条件になるべく合うような、しかも通いやすい近隣の病院を探し、なんとか「これは」と思える病院は数件しか見つかりませんでしたが、さっそく電話で予約することにしました。しかし、厳しい現実が待っていました。

 

 まず最も近所の病院に電話をすると、新規外来はやっていないとのこと。いきなり出鼻を挫かれました。そんなこともあるだろうと、2件目の病院に電話をすると、「予約は2か月先になる」とのこと。長男にとっては「今」なんだと思い電話を切りました。3件目、電話をかけようと思ってよく確かめると、「新規受付を停止しています」の文字が・・・。3件目で早くも心が折れかけました。

 児童発達の専門病院や発達支援センターの予約を取るのには半年待ちというのはよく聞きます。ひどい場合は1年以上待たされます。児童発達を診るのに1年以上待っていたら状況はどんどん変化してしまうため、地域障害児支援における大きな課題であると言われています。その状況は少し上の世代である児童精神科にも同じことが言えたようです。

 長男のために気を強く持ち、もう少し範囲を広げて検索し、自宅から電車で1時間のところを見つけました。ちょっと遠いとは思ったものの、電話だけでもと思い、連絡すると、なんと最短で同じ週の金曜日に予約が空いているとのこと。一瞬信じられなくて聞き返してしまい、あるいはそんなに人気がないのかと訝しくも思いましたが、善は急げ、8月の最終週の金曜日からクリニックに通うことにしました。

こうして、長男の受診生活が始まりました。

長男、不登校になる⑧~好調期

 6月中旬に久しぶりに登校することができた翌日と翌々日、3日間連続して登校することが出来ました。もちろんクラスに入って授業を受けるわけではないけれど、「学校へ行く」ということを続けられることが大進歩でした。

 しかし次の週は疲れてしまったのか1週間丸々休みました。また元に戻ってしまったと焦った私は日曜日に長男に声をかけました。すると、次の日、また学校に行くことが出来ました。月曜日から学校に行けるなんてスゴイと思ったところ、やはりその週はその日だけしか行けませんでした。その後、学校の近くまで行ったものの登校はできずに帰ってきてしまった日もあり、また1週間丸々休みました。その次の週は1日おきに3日も行けました。

 そんな感じで行ったり来たり、親としては一喜一憂でした。今日は行けただろうかと心配し、声をかけるかどうか迷い、行けない日が続けば意を決して夜に話し合いをし、行けた日は心底ホッとしていました。心の中はまさにジェットコースターです。

 ただ、長男は少しずつ自信を取り戻したのか、週に3日も行けた日には「アルバイトをしてもいいか」と聞いてきました。長男の力では採用は難しいと思っていましたが、「もちろんいいよ」と応えました。ただ、面接に落ちて自信を喪失してしまうのが怖かったので、面接で落ちることは当たり前にあるとだけ伝えました。

 

 7月の後半に入ると、世間が夏休みに入ったため、長男も夏休み気分になってしまいました。しかし先生から夏休み中も来てもらいたいと励まされ、7月の終わりから8月の上旬にかけて3日ほど登校しましたが、やはり気持ちが負けてしまったのか、その後ぱたりと登校することができなくなりました。

 

 長男には中学生時代の友達が一人いました。不登校となってからは高校時代の友達とはやり取りがなくなったので、遊び相手と言えばこの中学時代の友達だけでした。ある日、夏休みなのでこの友達と遠出をして遊びに行くことになりました。しかし長男にはお金がありません。不登校になって以来、おこづかいはあげていなかったので、長男が自由にできるお金はほとんどありませんでした。当然、遊びに行きたい長男は私におこづかいが欲しいと言ってきました。学校に行っていない長男にとって唯一の社会との接点である友達との付き合いは維持してもらいたい、しかし学校に行こうとしない長男にタダでおこづかいをあげるわけにはいかない。そこで、「8月中旬までに学校の課題を終わらせて提出すること」を条件におこづかいをあげることにしました。

 

 残念ながら約束は守られることはありませんでした。所詮は口約束です。あとになって金を返せと言っても仕方ありません。親として甘いと言われるかもしれません。しかし長男はそれほどズル賢くはないため、口約束とは言え厳しめに言うことで、何か変化があると信じていました。

 約束の期限までわずかという頃、夜な夜な課題に取り組んでいる形跡がありました。長男の通っている通信校の課題はそれほど難しいものではありません。レベルで言えば中学生程度。やろうと思えば一晩でかなりの量がこなせてしまうものです。約束の8月中旬にこっそり課題を見てみると、すでに終わっているように見えました。しかし、「提出する」ということができないでいました。提出するには学校に行かなければならないからです。(本当は郵送でもいいんですが、長男には思いつかなかったようですし、私も登校してもらいたかったので敢えて言いませんでした。)

 

 8月も下旬になったころ、心配した学校の先生から連絡がありました。それをキッカケに、改めて長男ときちんと向き合って話し合うことにしました。ちょうどその頃、私の職場でコロナが発生し、2日間ほど休むことになったことも影響しました。長男に、なぜ課題がやってあるのに提出しないのか、登校するのに何の障害があるのか、先生はいつでも来ていいと言っていると問いかけましたが、長男の返事は生返事ばかり。行くとも行かないとも言わず、「わかったわかった」とだけでした。私は苛立ちましたが、感情的になるのは良くないので、あくまで冷静に長男の返事を待ちました。しかし残念ながら長男から明確な返事は得られないまま、仕事に出かけなければならなくなりました。

 仕事と言ってもコロナのため職場に長居はできないので、2時間ほどで帰ってきました。すると、家に長男の姿がありませんでした。見回すと、いつも学校に持っているカバンがありません。出しっぱなしだった課題もなくなっています。あれほど「行く」と言わなかったにもかかわらず、ほんの2時間家を空けた隙に、長男は学校に課題を提出に出かけていました。

 私はとても複雑な気持ちでしたが、結果オーライということで何も言いませんでした。

 

 こうして、6月中旬から8月にかけて、わずか12日だけでしたが登校することができ、長男はめでたく前期分の課題をすべてクリアすることができました。

 しかしその後、再びパタリと登校することができなくなりました。それと同じくして、長男は体調の変化を訴えてきました。